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気分 このしょうもなきもの
人間の気分なんてそんなに大層なもんじゃない、ということを実感できたことが最近の大きな収穫だなと思ったので、書いていきたいと思います。
「退屈だと」「やる気が出ない」「なんとなく乗り気じゃない」
やるべきことに着手できないのでこういう気分をなんとかしたい、という時は割と対処のしようがあるのではないかという話です。
もちろん毎回必ずコントロールできるわけではないのですが、手順を心得ておけばなんとかなることの方が多いと思うのです。
本当に無理な時というのは意外と少ないのです。
(この「意外と少ない」をちゃんと観測するのが大事なのかもしれません)
ラジオ体操はコスパの良い向精神薬
先に方法だけ言ってしまうと、気分をどうにかするには体を動かすのが有効なことが多いです。
例えば仕事中に面倒な作業に取り掛かるのが億劫な時、ラジオ体操をするだけで立ち直れるなんてことがよくあります。
「面倒だなあ」と思っている最中はどうやってもやる気がでないような気がしているのですが、体操が終わる頃には「とりあえず簡単なとこだけやるか」という気分になっていたりするのです。我ながらチョロい。
うまく行けば、その勢いで面倒な作業が一気に終わる場合もあります。
自分はアランの『幸福論』の体操に関する記述を見てラジオ体操をするようになりました。
毎日しているわけではないですが、割と有効に働いているように思います。
体を動かすことが精神状態の改善に有効であるということは、昔からよく知られていることだと思いますが、実際にちゃんとやってる人は意外と少ないのではないでしょうか。
なぜやっている人が意外と少ないのか考えてみたのですが、この方法をやってみようとした時に、以下のような二つの問題が障害となる場合があるのではないかという仮説を立ててみました。
・必要になった時に実行に移す気になれない
・効果を認めたくない
自分にもこういう時がなくはないと思っています。
順に触れていきましょう。
障害1:「やっても意味ない」という判断をしてしまう
気分が良くない時、つまり体を動かすなどをして精神状態を向上させる必要がある時というのは、正常な判断ができない状態になっていると思います。
つまり乱暴に言うと一時的かつ軽度ではありますが、頭がおかしくなっているのです。
例えば過度にやるべきことが多く・難しく感じられたり、あるいは自分の能力が非常に劣っているように感じたりするのです。
このような状態だと、「体を動かせば気分がよくなる」ということがわかっているはずなのに「そんなわけがない」と思ってしまいます。
今のこの深刻な精神状態を改善する方法があるとは思えない、あったとしてもできる気がしない、となってしまうわけです。
実際には、ここに書かれている文面ほど深刻な状況ではない(メンドそうなことがやりたくないだけ)のですが、いずれにせよ手を付けるべきことに手を付けられるようにしなければ始まりません。
ではどうすべきかというと、自分の頭で判断しないようにしましょう。
つまり、規範を自分の頭の外に置けばよいのです。
頭がおかしくなってしまうのであれば、頭がおかしくなる前にルールを決めておけばよいというわけです。
例えば気分を変える必要があると感じたら、YouTubeでラジオ体操を流してやる、といったルールを決めておくのです。散歩とかでもいいです。
そしていざ気分が良くないなと思ったら、異常動作を起こしたシステムを再起動するように、前もって決めておいた手順を踏むことだけを目指します。
正常な判断ができる時に「こうすれば改善できるだろう」という手順を決めておき、それを実行することで正常な判断ができる状態に戻すことを試みるのです。
これも難しいようであれば、予防的に「決まった時間に体操する」というルールを作っても良いかもしれません。
万能な復旧手順というのは存在しないかもしれませんが、効く時は割と迅速な復旧ができるようになると思います。
障害2:「簡単に治るチョロい自分」を認めたくない
自分で自分をチョロいと認めるのは基本的にイヤなものです。
不機嫌な時に「ハラ減ってるのか?」という言葉をかけられて「デリカシーがない!」と怒る人はデリカシーのなさではなく、自分の精神構造が安く見られたことに怒っているのではないでしょうか。
つまり「自分の精神はそんなに単純ではない」と思いたがっているのです。
筆者のような凡人ほど抱えがちな思い込みだと思うのですが、人間がどこもかしこも高尚に作られているなんて思い込みは邪魔にしかなりません。
特に「『自分は』高尚に作られている」という思春期的な思い込みは最高に邪魔です。(しかしこいつは隙あらば湧いてくるのです)
こういう思い込みのせいで、「体操や散歩くらいで自分の高尚な精神が満足するわけがない」なんて思ってしまったりするわけです。
こうなると、体を動かした結果気分が良くなった、という効能があったとしても素直に認められなくなってしまいます。
もっと高度なテクニックとか特別な食品や栄養素やらでないと、気分がよくなっても自尊心が満足しないのです。
瞑想とかGABAとか、そういった「もっとスゴそうなの」を欲しがったりするわけですね。(これらに効果がないという意味ではありません)
気分とは基本的に脳の中で起こるもので、脳はあくまで体の一部です。
そう考えてさっさと体を軽く動かせば気分がよくなることを認めてしまったほうが、よほど有益ではないでしょうか。ラジオ体操はコスパ良いです。
簡単に気分が良くなる、あるいは機嫌が治るからといって、その人の人間性が貶められるわけではありませんからね。
そんなものは錯覚です。
まとめ
人間の気分というものは身体の状態に大きく左右されます。
風邪をひけば気が弱くなりますし、空腹ならイライラしやすくなります。
こういう場合に「そんなことでイライラするなんて子供だ」などと考えるべきではないと思うのです。
そういうものなのだから、そういうものなのだと認めるべきなのです。
(別に「だから人に迷惑をかけても良い」というわけではないです)
そんなわけで、頭の中の問題を頭の中だけで頑張ってなんとかしようとするよりも、体を動かすことでなんとかしようとしたほうが、割とあっさり解決することが多いと思います。
今度気分を変えたいと思った時は、一度ラジオ体操をやってみてはいかがでしょうか。YouTubeとかで簡単に流せますし。
では、またいずれ。