物忘れ日記 ときどき猫とか本とか映画とか:Vol. 23 書けなかった日々
前回投稿してから、なんと1カ月以上も時間が経ってしまった。
書こう、書きたいと思いつつ、落ち着いて書くことができない、なんとも中途半端な苦しい状況だった。
「物語というものには力があるのです。勢いがあるときに書かないと……」と大河ドラマ『光る君へ』で、まひろさんがおっしゃっていたように思うけれど、なにせ『物忘れ日記』なので、ウロ覚えで申し訳ない。もちろん、『源氏物語』と比べる気持ちはサラサラないけれど、やはり勢いがあるうちに書かないと、言葉は生気を失ってしまう。これからは、少しずつでも言葉を紡ぐ時間を持ちたいと思う。
時間は経ってしまったけれど、書きたいと思っていたことを記していきたい。
ある日。袖がレースになっているコットンのカットソーを着ていた私を見て、家人が「なんだか、割烹着みたいだね」と言った。「割烹着?それって、おばさんみたいっていうこと?」と問いただすと、家人は「そんな意味じゃないけど、割烹着にいいイメージがないってこと?」と質問されてしまった。
家人の言い分にも一理ある。
割烹着=所帯じみている=格好よくない
というイメージは、なんだかさびしい。
割烹着=母性=やさしさの象徴
というイメージの方もいるかもしれない。
言葉に対するイメージは、人それぞれ。そこがおもしろくもあり、コミュニケーションのむずかしさともいえる。「そんなつもりで言ったんじゃないのに」という思いをすることもあるけれど、それも人間関係のおもしろさと捉えると、楽しくなってくるのかもしれない。
ある日。こんなイベントに行ってみた。
森鴎外、夏目漱石、樋口一葉と神保町についてのイベント。生まれた年でいうと、森鴎外と夏目漱石は江戸時代末期のお生まれ、樋口一葉は明治5年のお生まれ。ご存じのように樋口一葉は「奇跡の14カ月」を駆け抜け、24歳で亡くなってしまう。
イベントの中で、さまざまな情報が西洋社会から伝えられた江戸時代末期から明治にかけて、西洋の言葉をどんな日本語にするかということに苦心したという話があった。たとえば、当時の日本社会にはなかったindividual, societyの意味を伝える言葉を見つけるのがどれだけたいへんなことだったか。紆余曲折を経て、「個人」「社会」という日本語が生まれた。カタカナだらけの最近の日本語を反省すべきと思った。
イベントの最後に、日本ペンクラブ会長の桐野夏生さんが挨拶をされた。「人間には葛藤がある。葛藤があるから物語が生まれる。AIなんかに負けていられません」という言葉にシビレた。繰り返しになるが、「物忘れ」のお年頃の上に、メモも取っていなかったので正確な内容ではないかもしれないが「葛藤があるから物語が生まれる」という言葉がココロに残った。
このイベントの様子は、11月29日にBS 11でダイジェスト版が放送される。ご興味がおありのかたにはお薦めしたい。
季節外れの暑さ、異常気象などという言葉に振り回され、気が付いたら11月も後半。12月になるとさらに慌ただしくなりそうだけれど、自分の言葉を紡ぐ時間を持ちたいと思う。日々の葛藤を文章にしていかないと、言葉が行き場を失ってしまう。
もっと書きたいことがあったように思うけれど、それはまた次の機会に。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。