2017年11月、福島。まち・なみ・まるしぇ〜浪江町
スクリーニングはあっという間に終わりました。靴の裏と車のタイヤを測っただけ。100cpmほど汚染されただけでした。
5時間トータルの被曝量は1μSv。しかし、行政から配られたこの機器は小数点以下は表示されません。高線量地帯だったまどか保育園に行くまでは0でした。0.99μSvを超えるまでは0、1.00μSvも1.99μSvも同じ1μSvの被曝です。この機器は被曝を過小評価することにつながるように思います。
スクリーニングを終え、防護服を捨て、浪江町役場となりのまち・なみ・まるしぇへ。なみえ焼きそばが食える!と思って行ったものの、14時を過ぎてお店は閉まってましたw
3月に楢葉に行った時も、日曜なのでココナラ商店街は閉まってた。平日は昼だけの営業、日曜は休み。やはりこの地域は、基本的に原発関連作業員のおかげで持っていると痛感せざるを得ません。
キッチン・グランマなるお店はまだ開いてました。ここは確か、NHKのあさイチでアッキー(安倍昭恵首相夫人ではなく、篠山輝信さん)が来たお店…と思ったら、やはり中にサインが飾ってありました。
そう、この店内、あさイチで見た
この日のグランマさんの日替わり定食は鯖の塩焼きです。
鯖はとにかく大きく、他にもたくさんおかずがついて、ちょっと女性では食べきれない量かもしれません。僕が食べたカレーも、ピリッとした辛味がとても美味しくて、大盛りを頼まなかったことを後悔しました。
ウエハースやチョコや煎餅は食べ放題でした。
ハコばかり立派な浪江町役場。しかし帰還した住民の数は
ここで双葉を案内してくれたOさんと別れました。家の中まで見せていただき、Oさんには本当に感謝しています。これからも何度か福島に取材に行くことがあると思うので、また機会があればよろしくお願いします。
空は抜けるように綺麗だ
Oさんと別れたのち、昨日一緒に呑んだMさんの浪江町の家へ向かいました。Mさん宅から見えた田園風景は、今は除染され更地が広がり、視界の脇には広大なフレコンバッグ置き場が横たわります。美しい山の風景と、そこに横たわるフレコンバッグの山。なんというコントラスト。夕焼けが綺麗であればあるほど、悲しい気持ちになりました。
このフレコンバッグの山を、一体どうするというのだろう。核燃料どころか、この黒い塊の行く末さえ決められずに、何が再稼働か。
Mさん宅にも上がらせてもらい、屋内の汚染状況を見せてもらいました。野生動物に荒らされることのなかったMさん宅は、住むことに何の問題もないように見えます。しかし線量計を出すと、首都圏では考えられない数値が出ます。
1階で0.25μSv/h前後、2階で0.50μSv/h前後。2階は放射線管理区域レベル。屋根に放射性物質が染み込み、線量計を天井に掲げるとさらに数値が上がります。つまり、天井から放射線が降り注ぐ状況。家の周辺は、地上1mで0.80μSv/h前後、地上1cmでは5μSv/hまで上がります。これは、ここで生活すると確実に年間2〜8mSv被曝することを意味します。Mさんは、3.11後、ここに自分の子供を連れてきたことは1度もありません。
Mさんの家は強化ガラスだったため、野生動物だけでなく空き巣に入られることもありませんでした。しかし周辺の家はどこも空き巣の被害に逢っています。犯人は県外から来たわけではなく、近所の人だったそうです。
2017年3月末、ここは避難指示が解除されました。しかし家は深刻に汚染され、住むことは出来ません。震災時、築5年程度だったMさんの家は半壊を免れましたが、避難指示が解除されたことで解体費用を自腹で出さなければいけなくなりました。また、県外に避難し住民票を移したMさんは、「避難」ではなく「引っ越し」とみなされ、賠償金も受け取ることが出来ません。
何の商店もインフラもなく、家もこんな状況。福島県のみ20倍に設定された空間線量基準だけを以って一方的に避難指示が解除され帰れと言われ、果たして誰がそれに倣うのか。まさに不条理であって、理不尽以外の何物でもない。
Mさんから別れ際に、震災後6年半をこの家で過ごしたウイスキーをいただきました。
なんとも貴重な、歴史の証人。初対面にも関わらずここまでしてくれたMさんには、本当に感謝です。このウイスキー、大切な時に開けて少しずつ呑みたいと思います。
親しみを込めて、敢えて被曝ウイスキーと呼ばせていただきます。
この後、大堀小学校へ向かいました。
<続く>
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