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2018年5月福島、廃墟の町

<続き>

ホットスポットのある正西寺を後にし、次の目的地へ向かう。

奥に見える白い壁の内側には、大量のフレコンバッグが置かれている。

隠しても何の意味もない。

道路の端からは雑草が伸びる。

線量は高い。除染済みでも地表1mでこの値。年間では約7.5mSv。チェルノブイリであれば強制移住区域。都内と比較して17倍の高線量地帯。

健康被害の有無は「現在は」確認されていないが、17倍の高線量地帯で安心して暮らせという方が異常だ。しかし国や東電、そして彼らの意向を受け暗躍する人々は、そうして不安を抱える人々を「復興の妨げ」「風評を助長する」といって攻撃する。

この白い壁、その中の黒い塊がなければ、綺麗な山が見えるだろうに。

向こうに見える浪江町地域スポーツセンター駐車場では十日市などイベントが開催されるようだが、グランドはこの有様。内堀知事、これは「復興した」と言えるのですか。

緑に覆われる家。

このポスター。

「経済で、結果を出す」

経済で放射性物質は取り除けるのだろうか。

もはやギャグだ。

結婚式場の廃墟。

当然のことながら、当時のままだ。

建物としては、地震による致命的な傷みは見当たらない。原発事故さえなければ、こうして廃墟になることもなかっただろう。

ビジネス旅館の廃墟。

7年前で時間が止まったままだ。

おそらく、地元の看板やチラシ、広告などを手がけていたであろう会社。

ここも廃墟だ。

ここの入り口は完全に破壊されていて、なんとも切なかった。イノシシなどによるものか、盗っ人によるものかは定かではない。

…一度板張りされたものが破壊されてるのを見る限り、人によるものだろう。

まさに廃墟の宝庫。廃墟しかない。

家の敷地内にフレコンバッグ。避難指示を解除し、国はここへ帰るか移住するかの二択を迫る。

廃墟しかない。避難指示は解除された。駅前や国道6号沿いにはわずかながらお店も出来た。しかしいつまでその店は商売を続けられるだろう。

浪江町の馬場町長は、どこか別の場所に新しい浪江町を作るべく奔走していた。しかし国による帰還への圧力に屈する形で方針を変えざるを得なかった。復興予算の締め付け等が懸念されたからだ。国によって半ば帰還を強制された。その馬場町長は、今はガンを患い、町長を辞任した。

<続く>


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鈴木邦弘
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