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2018年5月福島、浪江創成中学〜龍燈山大聖寺

<続き>

廃墟に溢れた、というより廃墟しかない町を歩く。

大きな屋敷だ。しかし様子を見る限り、人の住んでる気配はない。

緑。自然はとても美しい。

緑に飲まれていく家。2階の窓にはクマのプーさんが見える。羽生結弦選手は今の浪江を知ってるだろうか。

「浪江町への立入りルートは、国道6号知命寺交差点か高瀬交差点のみからの進入と〜」

避難指示解除前の看板が無造作に置かれていた。

国道6号を地蔵前交差点で通過する。目の前の建物も奥の建物も廃墟だ。

NHK「福島をずっと見ているTV」に出演することもある覆面漫画家竜田一人氏(「いちえふ」等)は、国道6号沿いや避難指示が出された土地(帰還困難区域含む)に並ぶ廃墟は全て風評被害の根源として撤去を主張する。しかしそれは余りにも避難区域の現状を知らない妄言だ。

富岡や浪江、飯舘といった昨年3月末に避難指示解除された地域の住民は、元いた住居や店舗の解体か保存の二択を、今年3月末までに迫られた。避難先に定住するのか、いずれ戻るとして保存するのか。保存を選択した場合、たとえ住まなくとも固定資産税を支払わなければならない。故郷を捨てるか戻るかという理不尽な二択を、まだ事故の収束も為されず除染も不完全な状態で強いられた。帰還困難区域に住居がある人々も、解体か保存かの二択を迫られている。

竜田氏の主張する、早々な空き住居、空き店舗の撤去は、住民に多くの負担を強いるものだ。また、元々の持ち主が行方不明になっている建物もあり、現実には解体はなかなか進められない。

この畑の前には人が住む。畑の作物にはビニール袋が被せてある。放射性物質が付着するのを防ぐためだろう。畑の向こうには浪江創成中学が見える。

さて、これを「福島差別」と言う人間はいるだろうか。いるとすれば、その人物はあまりにも現状を知らない政治活動家だろう。

浪江にじいろこども園。目の前の道路の放射線量は0.5μSv/h。批判を承知で言えば、僕に子供がいたらこんな場所には通わせない。

旧浪江東中学、現浪江創成中学。校庭に全面人工芝を敷き、自民党の下部組織である日本青年会議所東北地区福島ブロック協議会が、全国中学サッカー選手権福島県予選を「復興した」浪江で!とぶち上げたあの会場だ。

鯉のぼりが揺れている。

なんだか頭がクラクラした。

ここに福島県内の中学サッカーチームを集めて試合をさせる。ここに小学校入学前の子供を通学させる。都内の10倍の放射線量の場所に通わせる。

周辺には廃墟が立ち並び、その中にそびえ立つ真新しい校舎は異様にさえ見える。

果たしてこれで「復興した」と言えるのだろうか。

創成中学の向こうには、仮設とも公営住宅とも言える規模の真新しい平屋建ての家が立ち並ぶ。復興公営住宅か。

幾世橋地区方面へ向かうが、渡ろうと思っていた橋は工事中だった。

仕方なく造成中の土手を歩いてあっちの橋へ向かうが…

造成中の土手はこの先で見事に水路で寸断されており、やむなく復興公営住宅地まで戻ることになった。時間と体力の大幅なロスをする。

改めて、橋の上より請戸川を臨む。ここでの鳥のさえずりはとても美しいものだった。もう人はここに戻らなくていいとさえ僕は思った。

遠くに中間貯蔵施設が見える。

次の目的地、幾世橋小学校へ向かう途中、幾世橋農業研修センターの廃墟を見つける。

ここも中は慌ただしく避難したであろう7年前のままだ。

まもなく幾世橋小学校…と思ったところで、手前に龍燈山大聖寺を見つける。

ここの住職は、記憶が正しければ、お経の中に東電福島第一原発事故を批判する文言を入れドキュメンタリー番組でも取り上げられた人だ。

立派な木だ。

立派な大聖寺にお詣りする。

ここは、大晦日には夜ではなく日中に、住民たちと鐘つきを行うという。

参道の入り口では、お婆さんが土いじりをしていた。挨拶を交わす。いい笑顔で、若干ささくれ立っていた自分の心が安らいだ。

ちなみにここは0.4〜1.0μSv/h。

<続く>


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