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2017年11月、福島。夜ノ森駅〜福島第二原発
夜ノ森駅は帰還困難区域との境の場所にあります。このラインから一歩足を踏み入れるためには防護服が義務付けられる。しかしそのラインすれすれで見ている僕らや作業している作業員、警備員はそのままの格好です。なんだか不思議な気分です。しかし現地の人にとっては、そのラインによって賠償額に差がつけられ、たった一歩の差で住民同士が分断されてしまう。この不条理を、国や東電は全て織り込み済みで浜通りの人たちに押し付けている。なんと理不尽なことか。
夜ノ森駅へ移動。帰還困難区域スレスレ。この地点では1.49μSv/h。この場所に留まり続けた場合、年間被曝量は約13.05mSv。一般人の年間被曝限度量の13倍。福島県以外では立ち入り禁止、福島県だけは出入り自由の居住可能。
あのホームの上は帰還困難区域。しかし常磐線開通に向け作業員が普通に作業着姿で仕事をしている(マスクはしている)。
すごい量の太陽光パネルを目の当たりにしつつ、国道6号へ向かう。全ては田んぼだった。
福島のアウシュビッツ。
2.498μSv/h。
帰還困難区域内、国道6号から福島第一原発を臨む。
帰還困難区域を抜け、脇道へ。
富岡駅開通に伴い、国道6号よりも海側に隠されたフレコンバッグ。
こうしてたらい回す。
ビューティーサロンウィンクの前に仮置場はある。
ここは野生の王国。
福島第二原発。
煙が気になる。
福島第二原発からはうっすらと煙が舞い上がり、不気味な姿を晒していた。この福島第二原発は、まだ廃炉は決定していません。あれだけの事故を福島第一原発で起こしながら、隣の第二原発は廃炉が決まるどころか、原子力業界では再稼働を望む声まで出ている。そんなシンポジウムに福島民友の社長までもが参加し、歪な原子力行政の闇を感じずにはいられない。
海。汚されてしまった海。
景勝地でもある。
ここには、元々旅館があった。
ここで毎朝除染作業員はラジオ体操をしていく。
東京五輪のエンブレムがなんとも皮肉。
第一次安倍政権時のポスター。谷垣氏のポスターが剥がれてこのポスターが出てきた。
この後宿泊先であるいわきへ移動します。いわきへ向かう国道6号や抜け道の県道は、原発作業員や除染作業員、警備員等々の車で数珠つなぎに混雑していました。
いわきでは、2日目の28日に双葉を案内してくださるOさんと落ち合いました。僕らはOさんの一時帰宅に同行する形で、帰還困難区域に入域することになっています。挨拶を交わし名刺交換したのち、偶然(?)取材を通じてNさんと親交があった浪江町のMさんをホテル前で見つけ、皆でMさんの行きつけのお店へ行くことになりました。
東電の下請けであるIHIの社長がいたため、僕らは奥の座敷に移動、扉を閉め切って話をすることになりました。諸々いろんな生々しい話を聞くことが出来ました。3月に福島に行った時もそうでしたが、福島県民は複雑に分断されていると痛感させられました。部外者である僕らが口を挟むことは出来ない。ただただ話を聞き、圧倒されるのみでした。
以前は酒が入るとだいぶコミュニケーションも円滑になる方でしたが(笑)、このところのコミュ障ぶりはやや深刻で、そのせいもあり本当にただ話を聞いているだけでしたが、いろんなことを考えさせられました。
二次会のバー、ルイジアナを出てホテルに戻ったときは午前0時になろうかという時間でした。
シャワーを浴び、家の奥さんに電話し、この日あったことを一気に話していたら、あっという間に1時間経ってしまった。前日一睡も出来ずに出発したにもかかわらず、この日はずっと緊張感と興奮に包まれていました。そして就寝後も1時間おきに目が覚め、実質4時間ほどの睡眠時間で2日目へと突入することになりました。
<続く>
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