2018年10月福島、苅野幼稚園〜希望の牧場〜いわき
<続き>
苅野小学校に併設されている苅野幼稚園へ。
(しっかり管理されてる様子)
窓越しに中を撮影していたら、建物脇の側溝に左足を落としてしまったw ECOTEST社のガイガーカウンターMKS-05で側溝を測ってもそんなに線量は上がらなかったが、水が溜まっていて、やってしまったなと言う感じ。靴の中まで若干水が沁みてきてしまった。
何人かの友人にこのエピソードを話したところ、かなり心配された。しかし我が家の場合、双葉郡に取材に履いていった靴は毎回処分されるので、あまり心配する必要はない。奥さんがかなりの心配性なのもあるが、実際、現地の土壌汚染はかなりのもので、スクリーニング場でも靴の裏の放射線量は計測される。
荒れ果てた学校を見るのはいつも悲しい。しかしそれだけに、原発事故の罪深さ、恐ろしさを強く感じることができる。
(さらば苅野小学校)
この後、希望の牧場こと吉沢牧場へ向かいます。
(希望の牧場に向かう途中で、オリーブの試験栽培が行われていた。オリーブオイル作るのかな)
希望の牧場は車で行くとそんなに遠くない。まして、浪江ではほとんど車も走っていないのだから。
(希望の牧場到着。有名なカウゴジラ)
(この言葉も有名になった)
希望の牧場にはすごい数の牛たちがいた。餌のパイン缶の切れっ端と糞尿が入り混じり、すさまじい臭いw
今後の絵本制作のため、牛の写真がどうしても欲しかったし、牧場の写真も欲しかった。時間は限られていたが、とっさにスケッチブックを出しスケッチ、写真も撮影した。
(絵になる感じで並んでました)
(臭いけどかわいい。この牛たちは、震災がなければとっくに肉だったのかな)
(絵本のページをイメージしながら)
(遠くの鉄塔の写真も欲しかった)
この日は時間がなく、30分も滞在せずに出発。いつか吉沢父さんにも会いたいと思う。
馬場町長亡き後の浪江町長選では、吉沢さんはとても頑張った。帰還にこだわらず、町外コミュニティの可能性を模索していた馬場有前町長は、結局は国や県からの圧力に負ける形で帰還政策を受け容れざるを得なかった。その無念を吉沢さんは晴らそうとしていた。
町長選挙の際の“放射能安全派”による吉沢さんへの攻撃は酷いものだった。「福島県民のため」という連中の頭の中には、双葉郡は入っていないことがよくわかった。分断を印象付けるものだった。
浪江駅前でNさんらと別れ、代行バスと常磐線を乗り継ぎ、いわきへ戻る。ホテルにチェックインし、夜のいわきの街中へ。
(いろいろ物色した挙句、昨年11月に入ったこちらへ入店。元々は浪江にお店がありました)
(お通しはおでん)
(メヒカリの干物の…えーとなんだったっけかな うまかった!)
(ママさんオススメの白子の揚げだし)
(シメサバ。油がのって、最高でした!)
(マスターとも話が弾み、追加注文。オススメの煮秋刀魚)
この居酒屋は、僕の知り合いの多くが常連だった店。マスターやママさん、息子さんとも話が弾み、とても楽しく夜は更けていきました。
2日目は再び浪江の町を、徒歩で歩きます。
<続く>