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子どもへのまなざし
児童・生徒の自殺者が過去最高に達したというニュースを、少し前に見た。
これはこの国の大人、全ての責任ではないか。
予算をつけて対策を練ればどうにかなる、というような安易なものではあるまい。
「大人」が「子供」を見守るという、一昔前までは当たり前の、心の有り様が社会から無くなって、どれくらい経っただろう。
少子化が叫ばれるようになったのは私が子供の頃からで、にも関わらず、この国が子供を大切にできない社会に成り果てたのは、悲しみを通り越して怒りすら感じる。
江戸末期や明治大正の外国人の記録に「日本人は本当に子供を大切にする」と綴ってある…その心根は、150年経って消え失せてしまったのではなかろうか。
そんな事を、子供に関わる凄惨で醜悪なニュースを目にする度に思う。
「大人に見守られている」という実感を持たずに育った子供達は、一体何をよすがに人生の荒波を生き抜くのだろう…形あるものにしか価値を見出せず、人を信じる事も出来ずに、生涯を送るのかもしれない。
そんな人生は、憐れとしか言様がない。
唯物史観に迎合できない、心ある子供達は、今の現実に世を儚んで、生きることを止めてしまうのかもしれないな…と、昔いただいた美術館の画集を開きながら思った。
私の通った高校は中国地方の片田舎で、寮生は帰省時に、学校の事務室へ届け出をしなければならなかった。
デッサンの予備校に通うため、ほぼ毎週帰宅していた私は、事務の先生と程なくして懇意となった。と言っても、毎回ごく短時間の、他愛無い世間話を交わすだけの間柄だったが。
受験を無事に終え卒業を控えたある日、珍しくその先生から呼び止められた。
不思議に思って近寄ると、少し人目を気にされながら「合格おめでとう。これを貴女に贈ります。大学に行っても頑張ってね。」と、一冊の画集を差し出された。
それは大原美術館の洋画の所属作品が載った図録で、表紙を開けると達筆な墨書で、私と先生の名前が書かれてあり、落款まで押されていた。
その時の私は、驚きと有難さと嬉しさと、色々な感情が溢れて、上手く気持ちを表現できなかったように思う。
担任でも無い、教科担当でも無い、部の顧問でも無い、ほんの僅かな時間、言葉を交わすだけの、事務室の先生。
そんな先生が、自分のことを見守ってくれていたのかと思うと、心が太くなる感じがした。
画集は新しいものではなく、本棚にしまわれていた物の中から、私にと選んでくださった物のようで、それが益々嬉しかった。
そういうものが、時を経た今も、私の生きる糧の一つになっていることを思うと、子供達に本当に必要なものはこういうことではないかと、声を大にして言いたい。