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文学と美術

毎日寒い日が続いている。
暦の上では、もう春なのにな。

子供の頃から、時間が出来たら図書館や美術館に通っていた。
何時間でも本を繰ったし、何時間もソファに座って美術作品を眺めたりした。
本屋も、気づくとあっという間に時間が経ってしまう場所だった。
そんなわけで、学生時代まで、友人との待ち合わせも前後1、2時間程度の誤差は、お互い気にしたことがなかった。

時間に追われるようになったのはいつからだろう。枠があるのは良い面もあるが、流れ作業のようにスケジュールをこなす生活は、結局一つ一つを大切に出来ていないようにも感じてしまう。
昔のような、あゝいう大らかな生活を取り戻したい気もするが、今となっては贅沢なことのようにも思う。

「物の善し悪しがわからなくなった」と言われ始めたのは、私が生まれる何年も前のことで、それを子供の時分には理解出来なかったけれど、今ならはっきりと分かる。
文学も美術も、酷く乱れてしまっている。
言葉もアートも醜悪なものが濫立してる。
汚い物に価値を付帯することが、新しい価値観を見出すことが、前衛的だなんて、物は言いようだなと思う。
真善美の本質は、一つだけだ。
トリビアルとエッセンシャルが逆転しているような世の中は寂しいとも思うし、哀しいとも感じるが、それが今という時代の主流なので、諦めるより他に仕方がない。

結局、何を学んでも、何を表現しても、その人の心によるのだから、どうすることも出来ない。
人の心が、変わってしまったのだ。
これが宣長の云う、からごころかな。

書店に並んでいる本のほとんどが、魅力がなくなってしまって久しい。
買って、読んで、がっかりする…を繰り返した結果、もう古書しか手に取らなくなった。
美術館も観たい企画がないかぎり、近寄らなくなった。

何かを知るのは簡単だけど、本当に分かるようになるには長い時間が必要だ。
知れば知るほど、自分は何一つ分かっていないことに愕然としてしまうが、昔の自分より今の自分の方が視野が広がっていると思えるだけ、幸せなことかと思う。

#雑話 #文学 #国学 #美術
#日本に祈る



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