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BLMの今、『アラバマ物語』の小説・映画をともにおすすめしたい
今回は、『アラバマ物語』の話しをしたい。
みなさんは『アラバマ物語』をご存じだろうか? ぼくは、小説家になりたかった若い頃(たぶん今から20年くらい前)に、面白そうな小説を渉猟していたら、新宿の南口にあった(今は大幅に縮小された)紀伊國屋書店の2階でこの本を見つけた。外国文学コーナーのけっこういい位置に平積みされていたのだ。
まず、この本の表紙に目が行った。ボーイッシュな女の子の白黒写真だけが貼り付けてある、なんとも簡素かつ大胆なデザインだ。
しかし、それゆえに迫力がある。しかもこの本はペーパーバックなので、オシャレさが際立っていた。「この本を面白いと思えない奴はセンスがない」というくらいの強い自信が、ジャケットからぷんぷんと匂ってきたのである。
そうしてぼくは、いわゆる「ジャケ買い」をしたことは滅多になかったにもかかわらず、このときばかりはそれをした。この表紙に一目惚れしてしまったのだ。
ただ、そんなだからすぐには読まず、しばらく積んでいた。しかし数ヶ月後、何かの拍子に手に取ると、そこから一気に引き込まれた。夢中になって、ページをめくる手が止まらなくなった。そうして、それなりに分厚い本だったが、ほんの2、3日で読んでしまった。
読み終わった直後は、勘当に震えた。「これは本物の小説だ」と思った。そういう感想は、人生で数回しか味わったことがない。だからこの小説は、間違いなくぼくの人生オールタイムベストテンに入る傑作だ。
ちなみに、ぼくの人生オールタイムベストテンには、『風と共に去りぬ』や『赤毛のアン』も入っている。ぼくは、女流作家の書く小説に偏執的な愛を持つ傾向があるようだ。この小説も、すごくいい。
どういいかというと、そこに少女と少年が描かれていることがまずいい。思えば、ぼくの好きな小説は少年・少女が主要な登場人物の場合が多い。しかしながら、それでいてこの本が描こうとしているものの射程は深い。メインでは差別と偏見をテーマとしている。また人間の救いようのない愚かさや、社会の不条理さもテーマとしている。
しかも、そこには「安易な救い」がなく、あるのはただ厳然としたリアリティだけだ。この小説は、表紙の少女が主人公なのだが、主要な登場人物としてその父親が出てくる。「アティカス」という名の彼は弁護士で、1930年代のアメリカがとても貧しく、同時に人種差別が苛烈だった時代に、「濡れ衣を着せられた黒人の弁護」というとても損な役回りを引き受けていた。
そこでアティスカスは、正々堂々正義の道を貫こうとして、さまざまな障害とぶつかる。その障害がとてもやるせなく、実に愚かで救いようがない。その救いようのない現実に立ち向かう父親の姿を、幼いながらも真摯に、また無垢な眼差しで、彼の息子と娘の兄妹が見守るという話なのだ。
一番の長所は、とにかくキャラクターが活き活きしていて、まるでドキュメンタリーを読んでいるかのような臨場感のあるところだ。こういう臨場感が、アメリカのすぐれた小説は本当にすごい。
ところで、なぜこの小説のことを思い出したかというと、たまたまAmazonプライムビデオに、この小説の映画化作品があるのを知ったからだ。
映画の方は1962年に作られ、アカデミー賞の3部作を獲得するなど、こちらも傑作の誉れ高い。今見ると、映像の古くささは否めないものの、役者の演技とストーリーは全く古さを感じさせず、見ていて最後まで飽きることがなかった。だからこちらも、よければご視聴をおすすめしたい。
そして、この小説を読む意味(映画を今見る意味)として、BLMを抜きにはできない。というのも、この映画は長らく「人種差別に反対するすばらしい作品」として称えられてきたが、しかしそれは「白人が白人を称える」という意味において、黒人はあくまで傍観に追いやられていた。つまり、結局はこの映画も差別な眼差しを内包しているのだ。
今日では、そういうふうにあからさまな差別とはいえないものの無意識の差別というものも、やはり批判の対象として再評価(再批判)するという流れになっている。その新しい「時代の文脈」を知る意味でも、この小説を読んだり、映画見たりする価値は大きいと思う。