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ディスコミュニケーションの時代

最近、さまざまなところでディスコミュニケーションを目の当たりにする。同じ日本語で話してるのに話しが全く噛み合っていないケースが散見される。

なぜかというと言葉の定義が多様になっているからだ。増えすぎた「概念」に対して「言葉」そのものの絶対数が足りていない。だから、同じ言葉の中にさまざまな意味が含有されてしまっているのだが、多くの人がそれを定義を定かにしないまま不用意に使うため、お互いに何を言っているか見当がつかなくなっている。

例えば「お宅のご主人」という言葉がある。言っている方は敬意を持っているのだが、相手からするときわめて無礼に聞こえるという危険性がある。しかも言っている方が相手が無礼に感じているなどとは想像すらできないという状況がある。

同様に「パートナー」という言葉のニュアンスも難しい。言っている方は「結婚相手」という意味で使っていても、受け取る方は「結婚していないのかな」と受け取る場合が多い。あるいは人によっては「同性愛者なんだ」と受け取る場合もある。

さらに難しいのが「発達障害」という言葉だ。発達障害について話すとき、それを肯定する人と否定する人とで全く受け取り方が違う。例えば発達障害児の親は発達障害を肯定しやすくなる。だから「うちの子供は発達障害で」というのは、ある種の好意的な個性の一つとして紹介したりする。

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