どんな状況でも楽しく生きるにはどうすればいいか?
小泉今日子さんのこの記事が話題になっていた。
この記事にこんなコメントがついていた。
これについて気になったので、今日はこのことについて書きたい。
ぼくは、このコメントは的を得ていると思う。はてなブックマークには他にも同様のコメントがいくつかついていた。小泉今日子さんはぼくより2歳年上(学年は3つ上)だが、彼女を含めたぼくの世代までが、かなりいい時代を生きた。いい時代を享受できた。恵まれている。
その上、小泉さん自身はめちゃくちゃ恵まれた人生を歩んでいるから、そうでない人の気持ちはなかなか分からないだろう。というより、小泉さん以外の同世代人も、ほとんどが知らないはずだ。我々の世代が、上のコメントがいうように恵まれていたということに。
しかしぼくは知っている。なぜならぼくは、貧困との境界線上を生きてきたからだ。実際に落ちぶれていた期間が長かったし、自殺未遂の経験もある。同級生は何人も自殺した。また半分くらいは落ちぶれている(半分くらいが豊かさを享受している。その意味では境界線上の世代だ)。
では、豊かさと貧困とを分けるものは何か? ぼくは同窓会に出たが、ぼくの学年は(あるいは小泉さんの年代は)まだ「真っ当に生きたかどうか?」だった。真っ当に生きていれば、裕福になれた。不幸せになったのは、変な山っ気がある人ばっかりだ。
その意味で、ぼくは変な山っ気があったにもかかわらず成功したので、希有な例ではある。ただ、ぼくの場合は元々才能があったから助かった。当時は才能がなくとも変な山っ気を持つことを社会が応援する雰囲気も生まれ始めていたので、それで人生が狂ったという人は少なくないだろう。
ところが、ぼくらより1つ下から本格的な「氷河期世代」が始まる。彼らは「真っ当に生き」ていても落ちぶれる可能性があった。しかも、しばらくはバブルの残り香があったので、なおさら状況認識が難しかっただろう。そういう人たちは、二進も三進もいかなくなっている可能性が高い。
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