国境最前線 尖閣を扼(やく)する石垣市・与那国町を訪ねて(「日本の息吹」令和4年1月号より)
はじめに
去る平成22年9月に、尖閣諸島付近で違法操業し領海侵犯した中国漁船が取り締り中の海上保安庁巡視船に体当たりして逃走せんとした事件が発生した。当時の民主党政権は事件を隠蔽したが、映像流失により全国民の知るところとなった。
この事件を受けて日本会議地方議員連盟は翌平成23年7月に尖閣諸島が属する沖縄県石垣市および我が国最西端の与那国町への研修視察を実施し現地の状況を把握、同年11月に「尖閣諸島を守る全国国民集会」を開催した。
あれから10年を経て中国の領海侵犯行為は激しさを増し、更に隣国の台湾が中国に侵攻される危険性が高まって来ている。そこで昨年の長崎県対馬市に引き続いて国境離島の現状を知るため、11月15日から17日にかけて議連有志と事務局の計22名による石垣島と与那国島への研修視察を行った。
視察内容は(石垣島)石垣市長および沖縄県議会議員・石垣市議会議員・現地市民との会合、海上保安庁・石垣海上保安部訪問、陸上自衛隊石垣駐屯地建設状況視察、自衛隊沖縄地方協力本部石垣出張所訪問、および特攻顕彰碑慰霊式、(与那国島)陸上自衛隊与那国駐屯地と日本最西端の西崎など周辺の概況視察、与那国島史跡見学、大舛大尉墓前慰霊式、および与那国町議会議員・現地島民の皆さんとの意見交換会を行った。
■石垣市 中山市長訪問
沖縄県石垣市は八重山列島に属し面積は222・54 ㎢、大阪市とほぼ同じ広さで人口は約4万9千人、八重山列島の中心的地域である。視察団は先ず石垣市役所に中山義隆・石垣市長を表敬訪問し、意見交換会を行った。
尖閣諸島は石垣市の行政区域であり「石垣市字登野城(とのしろ)」が昔からの地名である。近年、土地や本籍等の表示を一見で尖閣諸島であると明確にして事務手続きの効率化等を図るための字名変更要請が強くなったため、平成30年に石垣市議会が変更を議会決議。令和2年6月に中山市長が変更議案を提出し賛成多数で可決し、「石垣市字登野城尖閣」となったと言う。日中関係悪化を危惧して取り止めの圧力をかけた政府中央に屈せず字名変更を貫いた石垣市関係者の努力はもっと多くの国民に知られるべきだ。
ちなみに石垣市役所新庁舎は新国立競技場を手がけた建築家の隈研吾氏が設計し、11月12日(金)に落成式、そして視察団が訪問した15日が業務開始日であった。石垣市と市民の皆さんの益々の発展を心から祈念したい。
■海上保安庁 石垣海上保安部訪問
沖縄県周辺の東シナ海および太平洋の広大な海域を管轄範囲とする第11管区海上保安本部(那覇市)は現在巡視船32隻を有し、海保最大勢力の管区である。その指揮下の石垣海上保安部(石垣市)は尖閣諸島を含む八重山諸島周辺の領土・領海を担当している。
配備されている船舶は令和3年11月現在、1000トン型巡視船13隻、180トン型巡視船1隻、巡視艇2隻、監視取締艇1隻。1000トン型巡視船の内、10隻 は尖閣諸島領海警備の専従である。加えて11月26日には海保最大級7300トン型巡視船「あさづき」が配備された。
視察団は保安部庁舎内にて保安部次長ら幹部の皆さんから概略説明を受けた後、停泊中の1000トン型巡視船「あぐに」に乗り組んで業務及び装備について案内して頂いた。また港内には平成22年に尖閣侵犯中国漁船に体当たりされた巡視船「みずき」も接岸していたが、破損箇所の補修跡が事件の深刻さを物語っていた。
ちなみに先の中山石垣市長との 懇談の席上、尖閣灯台の電球交換等は海保が行っている筈との事だったので、視察団は概略説明の後で尖閣灯台の管理について質問したところ、「適切に管理されている」との応答であった。
「正義仁愛の精神で八重山の海の安全・安心を守る!」精神で日夜領海の警備と海洋権益の保全、犯罪取締り、海難対応や自然災害対応に当たっている石垣海保の皆さんの姿には頭の下がる思いだ。
■陸自石垣駐屯地建設地と沖縄地本・石垣出張所訪問
九州および沖縄の防衛警備や災害派遣等を担任している陸上自衛隊西部方面隊(司令部:熊本市)隷下の第15旅団(司令部:那覇市)は、沖縄本島および先島諸島の縦横1000㎞に及ぶ島嶼群を守備範囲としている。限られた戦力で広大な地域に対応するという極めて厳しい状況にあるため、同旅団は離島対応型の部隊編成と拡充に力を入れている。
先島諸島防衛については平成31年3月に宮古島駐屯地が開設され、宮古警備隊と地対艦ミサイル中隊、 地対空ミサイル中隊などが配備されている。また令和四年度中に開設が予定され現在石垣島に建設中の駐屯地に於いても、部隊規模は宮古島と同等になると予想されている。
視察団は予定地を一望出来る高台「渡り鳥観察所」から視察したが、建設現場は頻繁に反対派のドローンで空撮されSNS上で晒されるという憂き目に遭っていると聞いた。法的規制も追いつかず、反自衛隊集団の跳梁跋扈には憂慮の念を覚えせざるを得ない。
石垣合同庁舎内にある自衛隊沖縄地方協力本部石垣出張所では、所長より八重山列島全般の概況説明と石垣駐屯地開設に向けた地域社会への取り組み等について説明を頂いた。石垣市民の自衛隊への信頼醸成に努力し成果を上げている沖縄地本と石垣出張所の皆さんを我々日本会議は最大限応援していきたいと思う。
■与那国島訪問
石垣島から空路で35 分、与那国島は我が国最西端の国境離島である。沖縄本島から520㎞だが台湾へは111㎞と近く、与那国町は台湾花蓮県花蓮市とは姉妹都市提携して交流を深めている。陸上自衛隊与那国駐屯地所在地の久部良(くぶら)地区は与那国島の西地域で、最西端の西崎(いりざき)は「日本最西端の碑」があることで有名である。
平成28年に開設された与那国駐屯地は駐留人員約170名、西部方面隊隷下の西部方面情報隊与那国沿岸監視隊と防衛大臣直轄部隊の各級部隊が駐屯している。中核部隊の与那国沿岸監視隊は国境警備の戦闘部隊ではなく、南西諸島の警戒・監視と情報収集を主任務とする。駐屯地司令は与那国沿岸監視隊長が兼務している。
今回は諸事情により駐屯地そのものを訪問出来なかったが、駐屯地幹部および現地町民のご案内を頂いて関連施設等の周辺を視察した。平成27年実施された住民投票の結果が駐屯地開設を後押しし、また先遣隊20名の自衛官が与那国町民との信頼関係構築に努力された事、自衛官とその家族の移住もあり当時約1400人だった島の人口が現在は約1700人と増加し島内経済の活性化に寄与している事などを伺い、関係者の皆さんの尽力に深い感銘を受けた。
与那国町役場が建つ祖納(そない)地区にある名勝「ティンダバナ」の岩盤詩碑「讃 與那國島」には、「南海の防波堤 與那國島」と刻まれている。また令和5年度末までに防衛省は陸上自衛隊の電子戦専門部隊を与那国島と長崎県対馬に配備し、南北に延びる「南西の弧」を形成して中国に対抗する計画である。我が国の国防上極めて大切な与那国島の安寧を願わずにはおれない。
■大東亜戦争で散華した英霊の慰霊
視察団は石垣、与那国両島で、先の大東亜戦争に於いて散華されたご英霊の慰霊式を執り行った。先ず石垣島では昭和20年の沖縄戦に際して慶良間(けらま)諸島海域に散った陸軍特攻隊員の慰霊を行った。指揮官の伊舎堂用久(いしゃどう・ようきゅう)大尉(戦死後に中佐昇進)は石垣島出身、郷土沖縄を守るために敢然と特攻出撃し軍神と讃えられた。我々の慰霊式は地元紙『八重山日報』に取り上げられ、翌朝刊に掲載された。
与那国島では地元出身の大桝松市陸軍大尉(昭和18年戦死)の墓前にて慰霊式を行った。大桝大尉は昭和12年に沖縄県で唯一陸軍士官学校に合格入学し、任官後の大東亜戦争では第38師団歩兵第二二八聯隊(名古屋編成)に属して香港攻略戦に参加。その後部隊のガダルカナル島転進で米軍と戦うも、昭和18年1月に戦死した。残された一文からは大尉の気宇壮大な性格が窺い知れ、郷土の軍神として祀られた。
祖国日本の弥栄(いやさか)を祈り戦って散華された諸先輩方の慰霊は、後世国民の義務である。私たち視察団は国境最前線の石垣市民、与那国町民と共にある海保と自衛隊の皆さんへの益々の敬意を表すると共に、ご英霊への感謝の思いを新たにした次第である。