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安倍元総理の志の継承を ―安倍家墓参を志の原点として(「日本の息吹」令和6年6・7月合併号より)

日本会議地方議員連盟  副会長
波多洋治  岡山県議会議員
日本会議地方議員連盟 女性局長代理
遠藤百合子 小金井市議会議員
日本会議地方議員連盟 副幹事長
吉田充宏  山口県議会議員

日本会議地方議員連盟では「安倍家墓参訪問団」を結成。4月11〜12日、安倍晋三元総理の眠られる山口県の墓参を行った。


■台湾研修から安倍家墓参へ

―山口県の安倍家墓参を企画された経緯をお聞かせ下さい

波多
 安倍晋三先生は、大変尊敬する政治家でした。2年前、日本国中に激震が走った7月8日午前11時半、安倍先生が銃撃された怒りと悲しみは、私の心にずっと残っておりました。そんな時、日本会議地方議員連盟の「台湾研修視察」のご案内があり参加を決めました。台湾の高雄市には、現地の方々の手で安倍先生の立派な銅像が建てられております。そこへお参りをした時、山口県長門市の安倍先生のお墓に地方議連の皆さんとぜひお参りしたいと思い、提案いたしました。

遠藤
 私は台湾の方々の日本に対する思いは大変深いものがあると聞いておりましたので、ぜひと思い台湾視察に参加しました。高尾市紅毛港保安堂の安倍
晋三元首相の銅像に献花させて頂いた時は、感極まるものがありました。そんな時、波多先生が安倍先生がお眠りになる山口県の墓参をしようとお話しされました。私もぜひともご一緒させて頂きたいという思いでいっぱいになりました。

波多
 同志の皆さんは間髪入れず、「よし行こう!」と返答くださり、瞬く間に今回の訪問が決定したのです。

安倍元総理の墓前で誓う

―墓参された時の思いは

波多
 4月初めは各地で入学式などがあります。そのような中、山口県の柳居俊学県会議長はじめ地元の皆様さんが受け入れてくださり、約30名が参加した素晴らしい訪問団となりました。
 安倍先生は「戦後レジームからの脱却」と言われていましたが、3188日という長きにわたる首相在任中に提案され取り組まれたこと一つ一つを我々が
顕彰し、先生が目指された日本国の姿を思い、我が国の歴史・国家観を踏まえた国づくりのため、それぞれの地で地方政治にしっかりと取り組む。地方議連のメンバーが力を合わせて頑張っていきたいという思いを新たに致しました。

遠藤
 安倍元総理のお墓を前にして、令和4年7月8日、遊説先で銃弾に倒れられた日の事を思い出しておりました。あの日のニュースを参議院選東京選挙区の生稲晃子さんの事務所で知りました。あの時、事務所が凍り付いた空気、必死でご無事を祈ったことを思い出しました。
 安倍元総理がご存命ならば、今の国会状況をどれほど残念に思われるだろうか。先生が居られたら、日本の行く末が全く違ったものになっていただろう。安倍元総理は今の時代に本当に必要な方でした。その足跡を、今を生きる私達は次の世代に継承する義務がある。安倍元総理のお墓の前に立った時、そのような思いが沸き起こり涙が溢れました。また安倍元総理は世界の
首脳と肩を並べ、日本国を押し上げ、日本の精神を本当に私達に体を持って教えて下さった方であったと、しみじみ思いました。安倍元総理の墓前で沸き起こったこの思いは鮮明に覚えておりますし、一生忘れることはないでしょう。

吉田
 4月11〜12日にかけて、全国から山口県にご来県頂きありがとうございました。松田会長初め皆様方が心一つに安倍総理のもとに駆けつけていただいたことは、本当に感謝の思いでいっぱいです。
 安倍総理の地元・長門の蔵小田にお墓がありますが、地元の皆さんは、おじい様の安倍寛先生、お父様の晋太郎先生も同じ墓に入っておられますので、安倍家のお墓にご参拝頂くことを大変歓迎されています。
 安倍総理を先頭に日本を取り戻していこうという矢先にあの事件が起き、それが一瞬にして絶たれたことについては、我々地元山口県の政治家は大変残念に思っております。
 もし安倍総理がご存命であれば、今の様々な国内外の問題についてどのように考え、どのように発言され、行動されたでしょうか。そういった方向性を我々が受け継ぎ、継承することが安倍総理がおっしゃった「戦後レジームからの脱却」に繋がってくるのだと思います。
 経済・外交・防衛などあらゆる分野で具体的に提案・政権運営され、国民にもきちんと説明をされていた真摯な姿は我々の目にしっかりと焼きついています。

松陰神社・松下村塾に訪問

波多
 私は学生時代から吉田松陰先生に憧れていたこともあり、今回、松陰神社への参拝訪問が計画されたことは、本当に感謝いたします。
 私が影響を受けたことを二つのみお話を申し上げたいと思います。私は学生時代、空手道を歩んで参りましたが、空手道場を開設する時、松陰先生の教え「至誠にして動かざる者、未だ之有らざる也」の言葉から、「至誠館」と名付けました。そして大学卒業後、小学校教師の道に進もうと決めた時、「人はみだりに人の師となるべからず、真に教ふべきことありて、人の師となりぬ」という教えを胸に教壇に立ち、36年間、松陰先生の『留魂録』を始め様々な言葉をいつも刻みながら教師道・空手道を歩んでまいりました。
 吉田松陰先生は29年という短い人生を本当に燃焼し尽くされましたが、それはまさしく安倍先生も同じで、日本の政治家の不朽の人であると思います。
 かつての松下村塾は本当にあばら屋のようでしたが、今は見事に松陰神社も周辺地域も整備されております。松陰先生の思いを長く後世に伝えるため、ますます素晴らしくなって頂きたいと思います。文武両道を学ぶ地・松下村塾があったことを忘れず、私もこれからも松陰先生を学んでいきたいと思っております。

遠藤
 私は今回、松陰神社に初めて参拝することができました。吉田松蔭先生と安倍元首相は、日本の行く末を心から案じ、それを広く皆に普及させていった力強い信念を持っていたという点で重なるところが大いにあると思います。
 吉田松陰先生の生きざまは、激しくもあり、29歳という若さで亡くなられましたが、武士道の精神を貫き、私達が日本人である誇りを心の底から大事にされたお二人であったと、私は思っております。

吉田
 明治維新胎動の地・萩市、「志の聖地」松陰神社にお参り頂きありがとうございました。吉田松陰先生の教えは政治の世界だけではなく万事に通じるものがあり、様々な分野の方が座右の銘とされ、各分野で活躍されている方も多くいらっしゃいます。安倍総理と吉田松陰先生で通ずるものは、「志を立てて、もって万事の源となす」というお考えで、それぞれの時代で日本の進むべき道を両先生とも考えられていたということだと思います。その精神、志が後世の人々の心の中にずっと生き続け繋がっていくこと。それが安倍総理の願われていたことなのではないでしょうか。

志の継承者として

波多
 安倍先生は、日本的なるものを守るために体を張ってこられました。激動する世界の中で、日本の守るべきものを主張し、誇りと自信をもって世界に対峙していける私達でなければならないと思っています。私達もしっかり勉強し思想を練り、政治家として堂々と日本の国政改革、日本の再生・再興のために力を合わせて頑張っていきたいと思います。

遠藤
 残念ながら、日本を愛する教育があまり行われていないと思います。私たちの国日本を愛していく、日本人として誇りを持ち、日の丸に誇りを持つ。それによって自分自身も大切に思う気持ちが生まれてきます。これは子供たちの自己肯定感が低いことと深く関係していると思います。安倍元総理は、日本の国を愛そうよというメッセージを伝えておられました。国を誇りに思う教育、そして私も日本が好きな気持ちを伝えていきたいと思います。

吉田
 本日、お話しをして、大変共感いたしました。私は安倍晋三先生という人物を神格化してはならないと思っています。安倍総理のご遺志を我々が受け
継ぎ実現していくことが大事なのだと思います。
 安倍総理はご在任中、教育基本法を改正し、外交・防衛政策を大きく前進させ、日本経済を立て直す政策、憲法改正論議の推進をされました。
 安倍総理はご講演でよく、昭和天皇御製の「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」を紹介されていました。日本が何を取り戻し、どのような国として今後未来に向かっていくのか、子孫にどのような日本を託していくのか。その思いを常に念頭に置かれて、行動されていました。今も天の上から我々にご指導くださっていると考えています。我々、日本会議地方議員連盟は、常に日本の将来を考えながら、今を生きる我々ができることを責任をもって取り組んでいく。今回の「安倍家墓参訪問団」は、その決意を固める企画となったと感じました。

(令和6年4月26日インタビュー)


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