[地方議会から]国境の島・与那国の防衛を盤石に ―島民に平和と安全を(「日本の息吹」令和3年10月号より)
糸数健一 与那国町長
与那原繁 与那国町議会議員
10年がかりで、与那国島に自衛隊を配備
― まずは、この度の与那国町長選ご当選、誠におめでとうございます。
糸数 どうもありがとうございます。前町長の外間守吉氏は4期16年与那国町長を務められました。
私が与那国島への自衛隊配備を掲げて議員活動を始めたのが平成18年のことです。20代、30代の頃は東京に住んでおり、40歳になって与那国島に戻ってきました。当時、ある素朴な疑問を持っていたんですね。それが沖縄本島から台湾までのこの防衛体制の空白状況は何だろうか、ということでした。
中国の調査船が島のすぐそばまで来ているのが目撃されたことがありました。万が一のことが起こっても、与那国には拳銃を所持した警官が2名しかいません。拳銃2丁でどうやって島を守るのか。国境の島の防衛体制を盤石にするためにも自衛隊に常駐してもらわなければならないと考えたのがきっかけです。
― 国境の島に拳銃たった2丁ですか。
糸数 自衛隊との接点がなかったので、最初は海上保安庁に呼びかけました。4年間気象観測の仕事で海上保安庁の船に乗っていたので、まずは海保の巡視艇の配備をお願いしたんですね。ところがそれでは埒が明かない。ちょうどそんなときに自衛隊の方とお話しする機会がありました。自衛隊配備についての話をすることができたことで、大きく前進し始めました。
与那原 平成19年の1月に、糸数新町長ら数名が防衛協会を立ち上げました。私も事務局として立ち上げ時から携わっており、町民に自衛隊配備の必要性についての理解を広める活動を行って来ました。
糸数 平成19年に、同じく国境の島である対馬に視察に行きました。与那国町長以下、議員団の集まりで上京する機会があったので、半ば強引ではありましたが、その帰り道にみんなで対馬に寄りました。そこで陸自の駐屯地を視察しました。同じ国境の島でありながら、対馬には陸海空全ての自衛隊が配備されていたんですね。個人的にはそれは衝撃的でした。
与那原 自衛隊を配備するために糸数先生が矢面に立ち、町長や反対派の説得も頑張っていただいたおかげで、配備へのレールが敷かれたことの意義は大きいと思いますね。
糸数 ところがなかなか配備が実現しないわけです。町民も大多数が自衛隊配備を容認していたにも関わらず、障壁となっていたのが外間前町長でした。自衛隊の配備が実現するまでは町議として町長を支え、また後押ししなければならないと思っていましたが、ぐずぐずしていて島民の安全、島の平和は守れるのか、という思いはずっとありました。
― 糸数先生たちのご活動が実を結び、平成28年に与那国駐屯地が開設されました。10年がかりでしたね。
両陛下行幸啓で島が一つに
糸数 自衛隊配備の次に実現したいと考えていたのが、当時の天皇皇后両陛下の与那国ご訪問でした。
与那国島というのは東京との距離が約1900キロ、石垣島でも約127キロあります。一方台湾とは約111キロで、交流も盛んです。しかしここは間違いなく日本国であり、我々は日本人です。もちろん政治的にならないように配慮しなければなりませんが、しかし両陛下が「行幸啓」されることで、与那国は日本であるということを国内外の方々にきちんと理解していただけると考えていました。
そうした私たちの願いが届いたのか、平成30年3月に与那国行幸啓が実現しました。
― 行幸啓当日は、子供たちからお年寄りまで、たくさんの方が沿道でお迎えしていましたね。
与那原 日の丸の小旗を持った町民で溢れかえりました。これまで自衛隊の誘致に反対していた共産党などの人たちも、国旗を両手に持って、笑顔で両陛下をお迎えしていました。その様子を見て、我々もびっくりしましたが、せっかく両陛下がお越しになるのだから、ひと目見たい、という気持ちだったんじゃないでしょうか。
糸数 反対派も一緒になってお迎えできた、つまり、両陛下のご訪問によって島が一つになったわけです。実はこの体験が、私が町長選に出馬する大きな後押しとなりました。
与那国島はこれまで、自衛隊の誘致を巡って賛成派と反対派で分裂していました。しかし両陛下をお迎えする島の人々を見ていて、与那国島は一つになれるんだ、という確信を得ることができました。
実は、町長選の出馬に当り、前町長の町政では公平な行政サービスが提供されないので是正してほしい、という多数の声が私のところに寄せられました。私はこれからの限られた4年間で、島の経済のパイを増やし、ダイナミックな経済活動ができるようにしたいと考え、またコロナ後を見据えながらすでに人脈作りをしています。
また、数年のうちに中台間で何かが起こりかねない、ということは米司令官も言っていることですが、それを見越して、国境の島としての与那国島の防衛体制を盤石なものとしなければなりません。
こうした課題に対して、国と連携しながら、どのように平和を構築し、全町民が幸せに暮らせるのか、現実を見据えながら取り組んでいきたいと思っています。そのためにも、再び与那国が一つになれるよう力を尽くしていきたいと思っています。
与那原 港湾や空港の整備など、有事に備えた整備がまだまだ不十分です。かつて伊波南哲という詩人が「南海の防壁・与那国」「皇国南海の鎮護に挺身する沈まざる二十五万噸の航空母艦だ」と謳った与那国ですから、再びその姿を取り戻せるよう、糸数新町長と共に、頑張っていきたいと思います。
(令和3年8月17日インタビュー)