理想の生き方ってなんですか?
イギリスに住み始めてこれまで多くの駐在妻と呼ばれるママ友と出会った。日本に帰ってしまった彼女たちとは自然と連絡が途切れてしまったが、ただ一人、同じ年の子を持つ友人Aとは10年以上連絡を取り続けている。その彼女が先日ロンドン出張のために5日間イギリスを訪れていた。
いつも忙しく働いている彼女は今回も超ハードスケジュールで、私がなんとか数時間かけてロンドンに会いに行けないかといろいろ策は練ってはみたものの、時間が取れるか分からないから来てもらっても無駄足になると断られた。実際、怒涛の5日間はすさまじくのんびりする余裕はまるでなかったらしい。
ロンドンに降り立った彼女からLINEが来て、ヒースロー空港からの移動中だという。それからぎちぎちに詰められた予定を何とかこなし、次に連絡が来たのは、帰りのヒースロー空港までの移動の電車の車中からだった。彼女のメッセージによると、仕事はとてもうまくいったらしい。そして最後に「日本を離れて生活してるあなたは本当にすごいわ」と書いてあった。
普段褒められることもなく、ましてや超努力家で今のキャリアを築き上げた彼女からの以外な言葉に私は驚いた。どうしてそんなふうに思うのか興味があって尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。
言葉も文化も全く違う、日本の生活習慣とは異なる風景が広がる場所に観光ならいいけど、これが一年、三年、五年となったら辛くなるなぁと思う自分がいた。言葉の問題もそうで、英語が早くてさっぱりで取り残されている感覚を覚えたそう。そんな世界で20年近く生きていて自文化にしつつあるのはすごい、と思ったのだそう。
そんなふうに思われてるとは想像もしていなかった。なぜなら彼女は大手企業勤務を経てフリーに転身し、ご主人の仕事の都合でヨーロッパを転々とした後に自ら専門家の道に進みたいと子育ての傍ら大学院に進学し、希望していた専門家として今もキャリアを邁進し続けていて、私とは雲泥の差だからである。でも嫌味がなく、おちゃらけているところもあるので大好きなのだけど、好きなことを仕事にすることを諦めた私からすれば、彼女はいつも眩しく、そんな彼女からのちょっとした誉め言葉はなんだかむず痒い。でも彼女曰く、実際は忙しすぎて疲れ果ててこんなになってまで執着する必要があるのか自問自答の毎日だという。周りの専門家はほとんど子供がいないので仕事や研究に没頭できるけど、自分はできない歯がゆさがある。その反面、この世界だけで生きていく覚悟があるかというと、それはないのかもしれない、と。
結局どこにいても、何をしていても何物でもないという葛藤はあるのかもしれない。どういう生き方をしていれば幸せかなんて人それぞれだし、他人から見れば理想の生活を送っているように見えても、常に悩みを抱えている人だっている。実際のところ、私は外国人でアウェーで自文化なんてあると思ったことはない。でも立ち止まってもいられないからただ走り続けてる、そんな気がする。
いい人生だったかどうかなんて、結局自分が死ぬときにしか分からないんだろうな。