求む。漢方型メディアおよび建設的ジャーナリズムな事例
今日の新月は新しいことを始めるのにとてもいいらしいので、私も便乗します。
自分が2011年頃に提唱した「漢方型メディア」。やっぱりこれが自分の人生の(少なくとも3、40代の)使命なのかなと、改めて思っている今日このごろ。
(いろいろ模索していた時期に作成した資料)
社会や地域を人の体とみなして、症状として起きている現象(社会課題)に対して、ピンポイントに治療する西洋医学に対し、体(人やコミュニティ)が本来もつはたらきを高めて、自分自身の力で健全な状態に戻す漢方医学のアプローチのメディアとして定義しました。
加えて2015年頃から、欧州発の「建設的ジャーナリズム」という言葉や実践が広がりつつあります。従来の「対立ありき」「批判ありき」でネガティブ性の強いジャーナリズムに対して、より包括的に文脈をストーリーにして紹介し、「どうしたら解決できるか/対立をうまないか」といった仮設まで示して視聴者の社会参加を促す、新しいジャーナリズムの潮流です。
自分が2006年の研究者図鑑の実践の中で徐々に構築していった漢方型メディアと、世界のジャーナリストが提唱した建設的ジャーナリズム。軸となる主旨はほぼ一緒です。ここまで一致するのは、なにか意味があることなのではないかと思っています。
そこで、日本発の「漢方型メディア」と欧州発の「建設的ジャーナリズム」をあたりまえのものとして根付かせるため、まずは今ある事例の収集から始めたいと思います!それがこの新月のスタートです!まず最初の事例は、当然のことながら札幌人図鑑ですね。
★近そうな事例を見つけたら、ぜひ教えて下さい!★
以下は背景にある思いです。
漢方型メディアは、2006年の研究者図鑑を発端として、自分なりに試行錯誤しながら取り組んできましたが、いろいろな力不足やぐいぐいいけない性格もあり、現在は休止状態となっていました。
しかし、ここ数年で世界各地で「分断」という言葉が顕著に表面化してきています。またSNS上での攻撃によって命を落とすような状況も目につくようになってきました。
メディアやジャーナリズムとして、また健全な民主主義のため、批判精神はとてもとても重要です。でも、「フォローする仕組み」「応援する仕組み」が、比較して少なすぎるんじゃないかと思うのです。頑張っているところを見られず、批判しか来ない社会では、人はチャレンジできなくなるし、どんどん心を病んでいってしまいます。
この社会全体のアンバランスな状態をなんとかしたい!そのために、フォローする仕組みや、応援する仕組みを創りたい!という気持ちや使命感が日に日に大きくなってきています。
(同じく当時作成した資料の裏面。ビジョン的なもの)
ある日、漢方型メディアと対になるものとして、「応援ジャーナリズム」とかいいんじゃないかとかぼんやり考えてました。その夜に、私が所属するCoSTEPの15周年のオンライン懇親会がありました。その開会にあたってCoSTEP設立者である杉山先生による冒頭のあいさつ中で、さりげなく「Constractive Journalism」という言葉が最近言われ始めているという話がありました。
気になってその場で検索してみたら、日本語で「建設的ジャーナリズム」ということがわかり、朝考えていた「応援ジャーナリズム」や、さらには私が2011年に標榜していた漢方型メディアの主旨とまるかぶりしているではありませんか!なんという運命的な出会い!!
そして翌日の朝には見たことないような見事な虹が!こういう偶然の出会いやシンクロニシティは、これまでの人生で大きな意味を持ってきましたので、これはやれと言われているのかと思った次第です。
最後に、私自身はメディアやジャーナリズムの理論を学んできたわけではないですし、メディア系企業勤務の経験もないですし、漢方医学を学んだわけでもありません。なので、どれも厳密に正確に語ることはできません。
あくまで無手勝流の野良ジャーナリズムであり、実践ベースのオルタナティブであり、メタファとしての漢方です。細かいところを突っ込まれても、申し訳ありませんが、お答えできません。ご了承ください。
自分のような立場だからこそ考えられる、取り組めることを、いろいろ勉強しつつ模索していけたらと思います。