当たり前が潰す
勉強することは嫌いである、朝早起きすることも嫌いである
仕事なんてもってのほかだ、ただ生活のためにやっていることだ
学校で勉強をする意味があるのだろうかと考えたことはないだろうか
それは勉強がしたくないからとかではなく
なぜ学校でという行動が定着しているのかということだ
勉強が楽しい そんな理由で学校に通っている子供は何人位いる?
友達と会える そんな理由で学校に通っている子供は何人位いる?
勉強が好きなら勝手にどんどん勉強するだろうし、
友達と会いたいなら学校に行かなくても会えばいい
学校という当たり前と思っていた行動に疑問が出てこないか
学校の意味を全否定しているつもりはない
理解もなく学校に行くという行動を否定しているつもりである
(学校自体を否定しているつもりはない)
僕の学校だけかもしれないが
朝の全校集会が毎週水曜日にある
校長の長いよくわからない話を聞く時間だ
毎週ある大事な行事なのだろう
そんな大事なのにも関わらずその日の夕方には
その朝の校長の話を記憶している人はほぼいないだろう
じゃあなぜこんなことをやる必要があるのか
僕の学校では教室から全校集会に向かうとき
教室前の廊下に全員並んで体育館に向かう
なんのためにではなく当たり前なのだと
教育されているのだ
@過程より目的
前回全校朝礼の話をしたのだが
学校の目的は全校朝礼の時の校長の話を聞くのが目的である
移動手段は廊下に1列に並ばせて体育館まで先生を先頭に向かう
この1手段しかない
それが小さい頃から当たり前だと思っているし
先生自身も当たり前だと思っているだろう
授業の時間はどうだろう
僕は体育が好きだったから体育で話をすると
体育の時間の跳び箱、ドッヂボール、バレー、サッカー等
色々なことはしたが、なんの意味があったのか説明できる人はいるだろうか
基礎体力の向上?跳び箱の跳び方?ボールを避ける為の経験?
体育は好きだった人も多いはずだろう
僕自身理解は今もできない、
ただ、机に座っているのが嫌いだったからというストレス解消でしかない
そんなものが必要になるのだろうか
ここで大切なのは目的である
なぜ義務教育という団体行動が当たり前となっているかだ
文部科学省では
普通教育とは、通例、全国民に共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育を指すとされ、義務教育と密接な関連を有する概念である。
と記載されている
就業的・専門的でない教育を行うことが義務教育とのことだ
9年で学んだこと、目的は一体なんなのだろう
@社会
義務教育とは一般的な基礎的なことを学ぶのが義務教育
という概念らしい
じゃあ学校でなにを学んだ?
答えはない
たまにテレビで恩師のあの一言でとか
部活で培ったあの経験がとかあるが
そんな人はごく一部と言えるだろう
じゃあ学校での一番の思い出は?
この質問にみんなは文化祭、修学旅行、体育祭
この辺を答えると思う
僕だってそうだ
この時ばかりは
生徒自身が動き、考え行動する
その場所を提供するのが学校だからだ
この経験は社会に生きてくるといえる
そんな学校人生の大切なイベント以外の
学校が教えてくれたことってなんだ?
今後生きる上で意味のない勉強は教えてもらえるが
学校の意味を教えてくれないのが学校である
学校が嫌いなだけじゃねーかとか
思われるかもしれないが
ただ言いたいことは当たり前が不必要なものでも
人間は気にしないということである
@なんでという知識
目的をこれまで話してきたが
次になんでという言葉の大切さを話したい
なんで?
普段使う言葉だろう、
友達、恋人、仕事で関係がある人、家族
誰でも使う言葉だ
しかし、否定的では使わない
なんで?
仕事していくことにおいてなんで?という言葉は
非常に大事な言葉だと僕は思う
仕事につながるからだ
考えてみてほしい
何でもいい
なんで国同士戦争をしているのだろう
なんで円安なのだろう
ここまで大きな話題とまでは言わないが
なんでWi-Fiという目に見えないネットワークがあるのだろう
なんでヒカキンは人気なのだろう
そんな簡単なことでいい
なんで?と思う知識は自分にとって役立つことには間違いない
大切なのは自分で思い、なおかつ調べるのではなく
考えることが重要である
調べてしまうと当たり前になるからである
当たり前という言葉はこれからの可能性を消す
@当たり前の可能性
当たり前とは何なのだろう
右足を出して左足を出すと歩ける
とかいうことではなく、今自分自身にとっての当たり前である
今務めている会社が自分に向いていると考えるのが当たり前
上司に言われて動くことが当たり前
休日は休み、趣味に没頭するか友達、彼女、家族と過ごすのが当たり前
本当に当たり前なのだろうか
当たり前とは何なのか
団体行動が当たり前、
さらにはいい会社に就職し、生活していくのが当たり前だと
思い込み生きてきたひとからしたら
本当に当たり前? ん? ピンとこないだろう
A、Bテストを例に例えると
Aが当たり前、Bがそれ以外
どっちが正しいだろう
まだピンと来ない?
Aが当たり前
Bが当たり前じゃない
なにを言いたいかというと自分にとって
今の生活になんで?と思うことが重要であるということ
その疑問を投げかけ、回答できるのであれば
それは素晴らしいことだと思うが
お金が必要だからとかそういった答えであれば
今の当たり前からさらに可能性は広がるはずだ
世間においてあなたの立ち位置は誰でもいい
自分が好きならAに行けばいい
Bに行けないことを当たり前に思わないことが大切
@守るもの
A、Bテストを例に例えてみたが
今の仕事から転職は無理だろ!と思う人はいると思う
確かに厳しいと思う
自分自身に守る嫁、息子、娘がいたらなおさらだ
そんな人を見捨てて話すつもりはない
僕が言いたいのは当たり前で可能性を潰すなってこと
会社の上の人ほど当たり前を好むだろう
この時の当たり前とは会社の為に仕事をして当たり前、
言ったことをやるのが当たり前
一方通行である
会社は上にはペコペコし、
下には偉そうに当たり前に叱ってくる
そんな会社潰れてしまえ
今の若者の可能性を潰すな
当たり前が植えつけられた脳みその固い一方通行のおじさんが
俺はえらいというよくわからないマウントを取ってくる
そんな老害が若者の柔軟な発想を潰しているのだ
今読んでいるちょっとえらい老害がいたら
その当たり前を潰せ
時間だけで偉くなっているのなら
若い発想を取り入れないといけない
若い発想こそが当たり前を変える
その手伝いをするのが上司の仕事ではないか
若い発想こそ当たり前じゃないんだから