そこに人がいるということ

そこに人がいるということ (1)

すごいことが起きている。

おとといまで参加していた『魂と繋がる歌の唄い方®︎』のファシリテーター合宿について、仲間が書いてくれた投稿が全部自分に響いているのだ。

自分がしてきた経験が、別の角度から光を当てられて豊かになっていく。
「全部いいなあ」と思えて、書いてくれた人に感謝の気持ちが湧く。

もっと言うと、他人が書いたことなのに他人事とは思えない。

こんなことは今までなかった。
はっきり言って、革命的な変化だ。

だって、僕はずっと「他人とつながる」ということができなかったから。

僕は、かなり幼い頃から「他人嫌い」だった。なぜかはよく分からない。
バスに乗って、隣に人が座るのも大嫌いで、どんと大きな荷物を置いてしまうような人だった。

イヤホンをつけて、世界を閉ざして、周りに音が漏れていて注意されても「チッ」という感じで音量スイッチを操作する。

はっきり言って、他人は邪魔だった。

僕は、小学校の頃から学業の成績がよかった。
特になにもしなくてもテストの点がよかったり、足が速かったり(足が速いって、ある年齢まではすごく人気があったよね)女の子にもモテていて目立っていたし、それを鼻にかけるようなヤツだった。

中学のときに浜松市から名古屋市に転校して、そこでレベルが上がって英語で10点とか8点とか、とにかくすごく低い点をとった。

ブロック体の「a」のスペルの最後をまっすぐ書くべきところ、くるんと曲げてしまったとかいう理不尽な理由での失点だったのだけれど、悔しくて悔しくて、鏡の前で泣いた。

そして、自らスパルタで知られる塾に入り、猛勉強した。

はじめての受験は、かなりのプレッシャーだった。
夏期講習、冬期講習で頭にハチマキをしながら、10時間とかもっとだったかな、ものすごい時間、机にかじりついた。

この頃になると「成績がよくていい気分になれる」というよりは、テストの点がとれないことが恐怖になりはじめていたんだと思う。

でもまあ、おかげで、旭丘高校という名古屋市で一番と言われる公立高校に入学できた。

高一の終業式に好きな人に告白してフラれて、そこからは勉強一辺倒のガリ勉になった。

主要5教科以外は意味ないし、と思って、美術の時間に授業をサボってカラオケボックスで B’z をシャウトしていた。
(そういえば、美術のテストが100点だったのに通知表が「3」だったのをなんでだよってキレていた。そりゃそうだろ。)

大学受験は、高校受験よりもさらにプレッシャーが上がった。
塾を二つかけ持ちして、学校の授業をサボるようになった。

うちでも睡眠時間を減らしてストイックに勉強して、ときどき母のお客さんが家に来た日には心底嫌がって、はっきりと態度に出した。

「一年浪人すればいいじゃん」みたいな考えは、一切なかった。
受験に落ちることは、もはやはっきりと恐怖だった。

早稲田の政経と中央と一橋の法学部を受験して、中央と一橋に受かった。
そうして、一橋大学に入った。

いまこうして振り返ってみると、なんでそんなに?と思う。
でもその後「死ぬ気で頑張る」とか「本気でやる」ことを敬遠するようになったのは、このときの辛さがあったからなんだなあと気づく。

こんなことをしているうちに、他人は自分の人生からフェードアウトしていった。ずっと友達はいたけれど、中学から高校に、高校から大学に進学すれば、メンバーは総入れ替えになって、その後、連絡をとることはなかった。

あとは先に話したように、バスで隣に来るとか、家に遊びに来るとか「邪魔だな」と思うような場面でしか、他人は意識されなかった。

テストで他の人より順位がいい、みたいなことも(恐怖と引き換えの)快感だったから打ち負かす相手みたいな感覚もあったんだと思う。

そんな僕がいま、児童館で中学生、高校生の学習のサポートをしているのだから、人生は絶妙にできている。

勉強をしている子どもたちを見ながら、ほんの少し悲しい気持ちになるのは、このときの経験があったからなんだろうね。

つづく

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澤 祐典
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