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徳のある人。

BOOK-SMARTというサイトで、松下幸之助さんと稲盛和夫さんの本が要約されていた。それを読みながら「徳のある人ってこの頃なかなかいないなあ」と思った。

たとえば、松下幸之助さんは出された料理を残した時にこんなことを言ったそうだ。

「あんたに、謝ろうと思ってな。この料理、おいしかった。けどわしはもう80や。よけ食べられへんのや。不味くて残したんやない。おいしかったけど、そういうことで、残したんで、気ぃ悪せんといてな」(江口克彦『ひとことの力:松下幸之助の言葉より)

あるいは、自分を強烈に批判している老師には、こうだ。

「ご老師、私もね、このごろ、周囲のもんが、何も言うてくれませんのや。今日、ご老師においでいただいたんは、なんか、私に注意すべきこととかね、あれはあかんとか、こういうことをせんといかんとかね、教えてほしいと思いましてね」(同上)

一方、稲盛和夫さんは西郷隆盛の『南洲翁遺訓』を引きながらこんなことを語る。

試練とは苦難だけをいうのではない。成功もまた天が人に与える試練である。トップは、岩をもうがつ強い意志力で引っ張っていくことも求められる一方で、それを否定するような謙虚さを兼ね備えていなければならない。(稲盛和夫『人生の王道』より)
トップに立つ人間には、基本的に個人という立場はあり得ない。トップの「私心」が露わになったとき、組織はダメになってしまう。(同上)

読みながら、ははぁと感服する。
こういうトップに会ったことがないな、とも思う。(「私心」が露わになってはいけないなんて露ほども思っていなさそうな人はたくさん見るけれど。)

こういう人たちに接することは、ある種の救いなんじゃないかなあと読みながら思った。

以前この記事で

不祥事を起こす新興ネットベンチャーは「開始の判断=経済性、廃止の判断=外部からの圧力」という構造になっている。美意識に代表されるような内部的な規範が機能していない。

と書いたけれど、ここでいう「美意識」と「徳」は同じものだろう。
トップにそれがあるから、部下も襟を正す。そんな人物はどこにいるだろうか。

そう思って、いろいろと思い浮かべてみたけれど、政界・財界では思い当たる人はいなかった(だから政治と経済はこんな状態なのかもしれない)。

一方、思いついたのは、芸能界の人たち。たとえば、志村けんさん、タモリさん、北野武さんにウッチャン(内村光良さん)。そういった、人が付いてくるお笑い芸人の人たちにはなんとなく「徳」の感じがする。

それにしても、こうして思い出すまで「徳のある人」なんて意識にすら上らなかった自分に驚く。そのくらい絶滅寸前のものなのかもしれない。

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澤 祐典
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