欲しかったのは、答えじゃなくて、問いだった。
きのう、奥さんが身体の痛いところについて友だちに相談していた。そのやりとりを聞いていて気づいたのだけれど、誰かになにか相談するとき、本当に力になるのは、ぱっと答えが出ることよりも「問いかけてくれること」なのだと思う。
「これはどう?」「どんな感じ?」と、僕らと目線を合わせるようにして問いかけてくれると、問題にしていたことがよく見えてくる。
きのうも答え(らしきもの)にたどり着いたのは、なんと傍らでやりとりを聞いていた僕だった。でもそれはそこまで丁寧に重ねられた友だちの問いかけあってのもの。
彼女は僕らより身体のことをよく知っていたので、問われるごとに解像度が上がっていった。彼女は医師ではないが「問診」ってこういうことかと思った。
いま、そのときのことを思い出して気づいたのだけれど、人にとって本当に価値があるのは答えではなく、答えの「いっこ前の質問」かもしれない。サッカーでいえばゴールではなく、アシストのラストパス。
きのう、そのパスを出したのは、やはり友だちだった。彼女のなにげない一言があったからこそ、僕は答えの景色を見ることができた。それまで奥さんと二人で「なんなんだろう?」と考えていてもちっとも見えなかったその景色が。
あの、問いかけられるたびに解像度が高くなり、問題がよく見えるようになっていく感覚。そこにはじぶんと同じ目線に立って「なんだろうねぇ」といっしょに考えてくれる彼女の姿勢があった。
人に答えを教えようとする人、教えたがる人は多い。でも、おなじ目線に立って、そこから問いかけてくれる人は驚くほど少ない。
僕らが本当に欲しいのは、そういう人なのだと思う。
そういう人となら僕らはいっしょに答えまでたどり着ける。人生をともにできる。
僕らはそういう人といたいのだと思う。
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