音楽を君に。(2)
I'm a songwriter and welcome you to my song
眠れぬ晩の思いつきで
言葉がまだないのです
ラララララララ ラララララララ
ラララララララ
こんなメロディはどう?
KAN『Songwriter』より
歌手であり、ソングライターでもある母の息子に生まれたことは、僕の誇りだった。
そのおかげで、CHAGE&ASKAのライブのときには楽屋に入ることができて、ドキドキしながらASKAさんのサインをもらった。ASKAさんと母は博多時代の知り合いだったのだ。
父も楽器店の仕事をしていて、会話の中にときどきアーティストの名前が出てくることがあった。中島みゆき、松任谷由実、B'z、財津和夫。
それを聞きながら「僕はそっちの世界の人間なのだ」と14歳の僕は思った。その場所の、その空気を知る人と生活を共にしていること。それは圧倒的なアドバンテージに思えた。
「わかっている。
僕はもはや B'z やミスチルやサザンのようにはなれない。」
これは昨日書いた文だ。
最初はなんの気なく書いたものだった。
前後の雰囲気を合わせるために、すっと挿入したような。
けれど、読み返して目にしたら悲しくなってきた。
フェイスブックに記事を紹介するときに、ここを引用してこんな言葉を添えた。
「笑われてしまうかもしれないけれど、なりたかったんです。本当に。」
それはあまりにも本当のことだった。
本当すぎて、涙が出た。
Bluetoothでパソコンをスピーカーに繋ぎ、宇多田ヒカルの「花束を君に」をかけた。
嗚咽した。
そんなことはめったにないことだから驚いた。
腹筋が波打つほど泣いて、その気持ちがどれほど本気だったかを知った。「これはまた人に説明できない事が起きたぞ」とも思った。
そこに14歳の僕がたしかにいることを、41歳の僕は感じることができた。あれこれ考えてごまかしていた14歳の時よりも、もっと純粋な思いとして。
「こっちじゃない」
僕は人生を通じて、幾度となく進路を変えようとしてきた。
軌道を外れている。そんな感覚がずっとあった。
B'zやサザンやミスチルは、いまもレコーディングスタジオに入って、一音一音にこだわっている。そしてその精度をどんどん上げている。未踏の領域に立ち入ろうとしている。
あるいは、ライブのステージの組み方についてスタッフと入念な打ち合わせをしているかもしれない。どんなふうにしたらお客さんが喜んでくれるか。演出はどうしよう。特効は。照明は。
同時にボーカルやギターの技術を磨いたりもしている。ポスターの撮影なんかもしているかもしれない。喉を、からだをケアしてくれるスタッフだっているだろう。
そしてなにより今日も歌のことを考え、作詞作曲をしているはずだ。生活の中で起きたことをふっとすくい上げるようにして。
僕は一刻も早く、そうした生活に入らなければならなかった。ただでさえ遅れをとっているのだ。たくさんの人たちの協力の下で成り立っている彼らにこんな場所にいて太刀打ちできるはずがない。
その正しい軌道に乗るためには「入口」が必要に思えた。実際、B'z やサザンやミスチルは、ある日、あるとき、ある場所にいたところからスタートしている。
B'z でいえば、稲葉さんがオーディションを受けたことだし、サザンでいえば、青山学院のサークルに入ったことだし、ミスチルも、高校の軽音楽部に所属していた。ついでに言えば、うちの母親も大学の軽音サークルに入ったことがデビューのきっかけだった。
もちろんその前からもいろんな縁や偶然があったのだろうけれど、とにかくその軌道に乗らなければならないと思った。僕はボイストレーニングをし、曲を書き溜め、DTMの機材を揃えた。形だけでも近づきたかった。
けれど、何度となく跳ね返された。
とにかくアーティストになってしまおうと思って芸大のデザイン科を受験したときには、面接官だった佐藤雅彦さんにこう言われた。
「僕たちは毎日つくっているんですよ」
僕が課題として制作したものは、なんとなく思いつきで撮った動画だった。そもそも「つくる」ってなんなのかを知らなかった。憧れの人にそう言われて、とても恥ずかしかった。
ボイトレや作詞作曲を習慣にしても、ライブをしてみても、どこかで歌うことがあっても、どうしてもその軌道に乗る道が見えなかった。
むしろ、人生はそれ以外の方向に開いていった。児童館やワークショップや文章を書くことのほうに。そこには充実感があったけれど、14歳の僕は焦るばかりだった。「そっちじゃない」と思った。
無意識でも潜在意識でもスピリチュアルでもなんでもよかった。
とにかく軌道を変えたかった。
早く稼ぐ必要があった。稼ぐとか稼がないという話をさっさとクリアして、お金を手に入れて、音楽に没頭する時間と相応の教育を与えてあげたかった。
けれど、いろんなところを巡り、どれほどすごい経験をしても、魔法のような瞬間に立ち会っても、その「入口」が見つけられなかった。どうしても、そっちに行けるようには思えなかった。
その間にもアーティストたちは作品をつくり続けている。多くの人の協力と支持を受けながら。
「わかっている。
僕はもはや B'z やミスチルやサザンのようにはなれない。」
なにげなく書いた言葉は、そうした努力全てに向けられていた。
「ころしてしまった」と僕は思った。
やわらかな蝶の羽をうっかりつぶしてしまったみたいに。
今日お葬式をします
私の愛が死んだのです
ウィッシュ『御案内』より
母のデビュー曲がこんな歌詞だったのは、なんだか不思議なことだ。
でも、昨日の記事に師匠の本郷綜海さんが「弔う」という言葉をつかってくれたように、いま、僕はお葬式をして、かつての自分を弔っているのだと思う。
たまたまだけれど、『御案内』の歌詞を検索しようとしたら、東大阪に住む人がこの曲をカバーしている動画を見つけた。
自分が書いた曲を、見ず知らずの他人がカバーして、うれしそうに歌っている。
これは本当に、ものすごいことなのだ。
昨日と今日。たった二日のことだけれど、本当にいろんなことが分かった。
たとえば、何歳になっても人の中にはかつての自分がいることだとか、「イタい」「中二病」という言葉が、どれほど人の気持ちを挫くかとか。
でも、これを書きながら、なんで泣きそうになるのかは、まだよく分からない。ただただ悲しい。
ちなみに、ASKAさんのサインは失くしてしまってもうない。丁寧にラップにくるんで、どこかにしまったはずだった。そのこともなんだか悲しい。
大事にしていたのは、おぼえているから。
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