くにちゃんと過ごそう_

その日の朝。

二月二日、土曜日。
名古屋は、晴れ。

今日は「聞くこと」の師匠、橋本久仁彦さんとうちの奥さんとの二度目の場がひらかれる日だ。

テーマは「円坐」。

まるくなって座って、過ごす。

ただそれだけのことなのに、僕は長年円坐が苦手だった。
重苦しかったり、意味不明だったり、こわかったり。

でも橋本さんも含め、みんなが「いい」というので、僕もそうなりたくて研鑽クラスという円坐をひらく人の研修にまで行った。

やっぱり好きになれなかった。

それが変わったのは、奥さんとの関わりによってだった。
それはどこまでも正直で、ときに熾烈だった。

妥協なく暮らしたい二人の主張がぶつかり合うと、くるみの固い殻が割れるようにして、いろんな「本当はいらなかったもの」が落ちていった。そうして、僕たちは毎回つながり直すことができた。

いつも「円坐みたいだ」と思った。
でも、僕は円坐をひらいたつもりはないし、奥さんは円坐のことを知らない。

最近では、おなじような場面が日常に起こるようになった。
「円坐みたいだね」と参加した人が終わった後に口にするような。

あるいは、場というものを怖れる若い人たちに会うことも増えた。

「円坐みたい」と円坐は、どうちがうのだろう。
場っていったいなんなんだろう。

そしてかつての僕は、なぜあんなにこわがっていたんだろう。
たかが自分が見透かされることが。

そんな問いを抱えながら、長善寺に行ってこようと思う。

なにが起こるかはわからない。
でも、いまは円坐に向かうのに、橋本さんや参加者の人たちと過ごせるうれしさがまさっている。ちょっと不安だけど、ぜんぜんいやじゃない。

こんなに変わるもんなんだなぁ、人って。

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澤 祐典
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