空に穴があいた夜。
昨晩、QUEEN + ADAM LAMBERTの『THE RHAPSODY TOUR』を観た。
この公演のチケットを申し込んだのは、昨年5月末。それから半年経つうちに「クイーンが観たい」という気持ちも薄れ、昨日は正直言ってそれほど期待感はなかった。
でも、それがよかった。
ライブは、今まで観た中でも屈指のステージだったからだ。
曲がいいのもあるけれど、何よりボーカルのアダム・ランバートが凄かった。すごいすごいと聞いてはいたけれど、動画とライブでは全く違った。
フレディが歌わなければクイーンの歌にならない。そんな強烈な個性だったはずだ。その不思議を実現させたのがアダムである。
(略)
アダムは得意の超高音フェイクを交えながらも、物まねではなく、フレディの歌い方や歌心に沿い、クイーンの曲をその特筆すべき力量で「クイーン」たらしめているのである。「これもまたクイーンとして聞いてもいい」というのが1970年代からのファンの多くが感じたことではなかったか。
まったくそうで、アダムの唄うクイーンは変な言い方だけれど「クイーンに聴こえる」。あれほどの個性を放つフレディがいないのにクイーンに聴こえる。それどころかライブ中、そのことを意識することは皆無だった。本当に不思議で奇跡的なことに思える。
そして、アダムは僕がいままで観てきた中で一番歌のうまい人だった。どの音へも自在に行き来し、時には超高音で観客を魅了する。「あの人は鳥かなにかじゃないか」と何度も思った。
「歌ってここまでうまくなれるものなんだ」
そう思った時に感じたのは、悔しさではなくむしろ喜びだった。
僕は自分にできないことができる人をみると、悔しくなり落ち込む。だから最近は目標を立てたり、人と比べたりすることを控え、そうすることで暮らしをらくにしていた。
しかし、アダムの歌は圧倒的だったから、そんな構えをぶち破ってきた。自分の知っている歌の天井に穴があけられて、その時に感じたのが「山って高いなあ」というような清々しい喜びだった。これは、僕にとって驚くべきkとだった。
練習がしたくなった。もっとうまくなれる気がする。声を磨きたい。
そして、いままで聴かなかった洋楽や外国のアーティストのライブに足を運びたいと思った。
アダムの歌は、僕をそんな気持ちにさせた。
映画『ボヘミアンラプソディ』を観て、僕はこんな記事を書いた。
昨年、一番読まれた記事だ。
そして今年、フレディではなくアダムにもう一度、度肝を抜かれて、まあ、まったくクイーンというのは、とんでもないバンドだと思う。
僕に高みを観せてくれるバンド、それがクイーンだ。
昨日、もしかしたらその高いところには、フレディがいたのかもしれない。
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