どっぱーん、ざっぱーん。
昨日も未二観とおしゃべりで過ごす『listen.』をした。
やっぱりすごく面白かった。
普通に会話するより、最初に「未二観」をはさんだ方がいい感じがする。
それはなんでだろう、と考えてみた。
ストロークが長い。
普通の会話は「キャッチボール」に例えられるように、しゃべって、聞いて、しゃべって、聞いてが繰り返される。ワンツーとしゃべって、ワンツーと返すという感じのストロークだ。けんかなどの応酬になると、これがワンワンワンワンとよく吠える犬みたいになる。
一方、未二観では、片方の人に15分間、延々しゃべる時間が与えられる。
言葉がないときには沈黙になるから、ずっとしゃべっているわけではないのだけれど、とにかく聞き手が口をはさむことがない。こんなことは普通の会話には、まずない。
その結果、ストロークは、ワンツー、ワンツーではなく、ワンツースリーフォー……となる。波にたとえれば、ざざざざとエネルギーが高まって、どっぱーんと行くまで待つ感じ。
音楽的に、IT的に言うならば。
その15分間は、時空間が話し手の言葉で満たされる。音楽的に言うなら、話し手の言葉だけでなく抑揚や息づかいが主旋律になって、沈黙は休符になって、外部の音も伴奏として入ってくる。
ITっぽく言うなら、話を聴いているうちに、聞き手の内部に話し手のデータ量が増えていく。ダウンロード率が10%、20%…と増えていって、より解像度の高い、立体的なその人が立ち上がる感じだろうか。
その未二観が終わった後のおしゃべりは、どっぱーんと来たその波をざっぱーんと返すかたちになる。深いところからえぐるボディーブローみたいに。日常にない入口から入るからか、その後も日常とは違う面白さがある。
で、『listen.』では、返ってくるざっぱーんは言葉での応答になるわけだけれど、『あなたのうた』では、歌にして返してしまう。この歌によるざっぱーんはさらに日常にはないから、いよいよ不可思議なことが起きまくる。
という感じになっているんだろうか。
それ以上のことが起きているような気もするけれど。
人間の驚異。
それにしても、当たっていようがいまいがこんなふうに「聞いている時間」をいろんなものに例えて語るのは、なんだかとても楽しい。
波であれ、音楽であれ、データ転送であれ、そのどっぱーん、ざっぱーんを通して交わせることの豊かさ。それによって深くなる呼吸のこと。その面白さを語るのが、僕はとても好きみたいだ。
そういう交流ができたとき、錯覚かもしれないけれど、ほんの少し「人間の驚異」に触れられた感じがする。どんな本にも書かれていない、リアルな実感をともなって。
ただただ普通に生きている、ただただ普通の話の中に、それだけの滋味が入っているということ。
むしろ、その認識の方が「生きていることの不思議さ」とは寸法が合っているのかもしれない。
そんなことが実感できる『listen.』や『あなたのうた』は楽しい。
やっぱり楽しいなー。なんでかな。