![なんのための歌なのか_](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8224989/rectangle_large_type_2_1e50cb0987448c5fb4d92e9714c49967.jpg?width=1200)
なんのための歌なのか。
さっきまで奥さんと電話していて、ケンカしそうになってしまった。
悪いのは、完全に僕。
それが起きたのは、お互いに近況を語った後「カラオケ歌うま王選手権」というテレビ番組の話になったときだった。
観たことはないけれど、その番組は、カラオケの採点機能をつかって、歌の優劣を決めるものらしかった。それを対戦形式にして盛り上がるという。
奥さんは楽しんで観ていたようだから、ヘタなことは言いたくなかったけれど、聞いているだけでだんだん気分が悪くなってきた。
途中で話をさえぎって「もうムリ」と言った。
「歌は、そんなものじゃない」と思った。
僕は『魂と繋がる歌の唄い方®︎』というワークショップで、歌と唄う人とを接近(成就)させる仕事をしている。
できるだけ「あなたの歌」を、
もっと言うと「あなたの魂の歌」を唄えるように。
その視点から見ると「カラオケ歌うま王」を目指したり、点数がよかった歌や歌い手を称えたりすることは、真逆に思えた。唄った歌に人間よりも先に機械が点数をつけて、いいだの悪いだのと盛り上がること自体、受け付けられない。
もちろん、楽しみ方は人それぞれ。
歌自体は、それを許しているのだと思う。
でも、僕は、歌をそんなふうに扱ってほしくなかった。
点数を介して盛り上がるその場所には、人間関係が一つもないと思えたから。
最近、友人の結婚式で歌を唄って「関係の中にある歌ってしあわせだな」と感じた。
うまいとか下手とかそういうことではなく、その場を祝福するためにみんなと唄う歌。それは、とても自由で、おおらかで、あたたかいものだった。
そういう歌について、聴いていた仲間たちが
「我らが澤ちゃんだよ、だろ!だろ〜〜〜〜!ってニッコリしたよw」
「思ったよね、我らがゆーすけだぞ、って!」
と感じてくれていたと聞いて、さらにしあわせな気持ちになった。
そこには人がいた。歌を中心に、唄う僕と、仲間と、そして見ず知らずの人までが参加してくれた。
採点マシーンで100点をとろうとする歌には、それがない気がする。
その人はうれしいかもしれないけれど、他の人はどうやって参加したらいいかわからないじゃないか。
そんな思いがいっぱいになって不機嫌になって、険悪にすらなってきてしまったので、奥さんに「ごめん」と言って、電話を切った。
そんなこと、気にしなきゃいいのにね。
でも、やっぱりプリプリしていて、こんなことを書いている。
よせばいいのにホームページを観たら、堺正章さんが司会をしているらしく「マチャアキ、なにやってんだよ!」と言いたくなった。
「カラオケ歌うま王」を目指す人よ、アンタの歌をうたってくれ!
と言いたくもなった。
きっとね、番組の人たちは、そんなことぜーんぶ分かった上でやってるんだと思うけど、なんか悲しくなっただよ。
そんなこと、気にしなきゃいいのにね。
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![澤 祐典](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/2357127/profile_7c5f980edda2561d7f4d4bdb41245e28.jpg?width=600&crop=1:1,smart)