あなたになれたら。
昨晩、ある方の食事会に参加させてもらった。
おいしい手料理をごちそうになり、面白い話をたくさんして、気づいたら六時間過ぎていた。帰り際になっても、もっともっと話したいことがあった。
「資産がだんだん殖えていく性質をもつとしたら、それはお金ではなく、愛情とか友達とか人間関係だと思うんですよね」
とその人は言っていた。で、そのとおり生きているのがよく分かった。
その人には「くつろぎ」があった。
自分がつくったごはんを誰かがよろこんで食べてくれるのがうれしいと言っていたし、実際にそう感じられた。人を招いておしゃべりをするのを心から楽しんでいるのが分かった。
なぜ分かったかというと、僕自身が元気になったからだ。
見ず知らずの人にいきなりオープンになり、マシンガンのようにしゃべりたいと思うことは、そんなにないことだったから。
「フロントエンド」「バックエンド」という考え方がビジネスにはある。
お茶会や食事会のような比較的価格の安い集まりで知り合って、信頼関係を築くことが、その後の高額商品のセールスにつながるという考え方だ。
この日の食事会は、それとは違うものだった。
「ただ、楽しい時間をすごしたい」というだけで、その後にセールスをしたいという意図はみじんもないのが分かった。
でも、助けを求めたいときに彼の顔は浮かぶだろうなと思った。同じものを買うなら、彼から買いたいと思った。
「あなたとたのしい時間が過ごせますように」
あったのは、それだけだったように思う。
だから、ものすごく楽しかった。
微妙なちがいなのだけれど、この違いは大きいと思っている。
だから、僕はつくづく「この人になれたらなあ」と思った。
あなたになれたら。
そう思うことが時々ある。
大抵、自分には欠けていて、問題を解決するにはそうなればいいと分かっているのになれないものを指して、そう思う。
この日の彼のたたずまいは、まさにそうだった。
「くつろぎ」とさっき僕は評したけれど、あの料理の感じ、部屋の感じ、BGMの感じ、話した心地、聞いた心地、全部が風のように通りが良くて、気持ちよかった。
なにより彼は「もてなす」ことができた。
料理で、知識で、聞き方で、その存在で。
あれなんだよなぁ。
と僕は思い、同じく同席していた奥さんとそんな話をした。
でも実際は
私以外私じゃないの
当たり前だけどね
(ゲスの極み乙女『私以外私じゃないの』より)
なわけで、その人以外その人じゃないし、僕以外僕じゃないので、僕はすぐにその人にはなれない。料理は嫌いだから、つくってふるまうなんて考えられないしね。
でも、なにかの形で「もてなす」ことができたらなあとは思った。
「あなたとたのしい時間がすごせますように」
という願いは、僕も持っているものだから。
さて、なにができるのだろう。
その日誉められたのは「ごはんをぱくぱくおいしそうに食べること」だった。これは昔からずいぶんよく言われてきたことだ。
でも一体、これがなににつながるのだろう。
もてなされるのは得意なんだけどな。
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