人の星座を

「自分を含んだ」星座を読み、そして生きる。

おととい書いた心理療法家、河合隼雄先生の話の余韻が残っている。

中でも、動画の中に出てくるこの図が印象深い。

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因果律によって「現象」と「私」を切り分けようとする線を黒板消しで消す場面。この後、引用した「人間が生きてるということは、もう現象の中に私が入ってるんです」という発言が続く。

物事の全体像を捉えようとするとき、ぼくらは必ずその現象と距離をおこうとする。しかし、それでは現象を見誤る。

「そのときに、私が心が切れてしまって『この人の中になにがコンステレートしてるだろう』というふうな見方をしても、絶対にこれは通じません。

 私も含めた、全体としてなにがコンステレートしてるか。もし、そういうコンステレーションがあるならば、私もその中に生きるというふうになります。」

つながったまま、ちょうど無数の星の一つであることを自覚しながら、「自分を含めた」星図全体を読んでいくような感覚。

それは地上から空を見上げて、そこに星座を見つけるのとはまるで違う。

と、言うのは簡単だが、これはなかなか大変だ。
なにしろ、よく見えない「自分」というやつの影響も考慮に入れなくてはならないから。

しかし、そのややこしさの代わりに「自分が動くことで全体に影響を与えうる」という自覚が生まれる。そして、その全体を生きることを本来の意味での「責任」と呼ぶのだと思う。

昨日、ぼくは『作曲事始』という仕事をしていた。
その中で「どうもいまは作曲じゃないんじゃないか」という気がして、こう伝えた。

「あの、ここで一旦終わりにするっていうことでもぜんぜん大丈夫です。ぼくの方に抵抗はないです。

 ただ、もう一つの考え方として、なぜわざわざぼくのところにコンタクトをとったのか。ぼくとの間でなにか頼みたい仕事があったのではないか、という視点もありうると思うんですが、どうですか」

この考え方は、ぼくにとってそれほど珍しいことではない。
最初のきっかけと本来の目的が違うことなんて、人にはざらにある。
(ということを、僕は奥さんとの夫婦げんかで学んだ。)

そう伝え、参加者さんの心境を伺ったところ、いま必要なのは『あなたのうた』でその人の肖像画をきちんと残すことだとわかった。

かくして『作曲事始』+『あなたのうた』という仕事が、ぼくと参加者さんの間に「コンステレート」した。

まずは15分間、未二観のかたちでお話を伺う。
通常の『あなたのうた』では、このあとおしゃべりをするか、回線を切って作曲しはじめるのだけれど、この日は『作曲事始』としてはじまっていたので、ふと思いついて、『あなたのうた』に着手する様子をそのまま観てもらった。

その様子を参加者さんが撮影してくれたのが、この動画。
一人で「すごいすごい」と言いながら、出てきた鼻歌にコードをつけている。撮影されていると知らないので、本当に素。我ながら面白い。

あらかじめ打ち合わせしていたことは一切ない。
お互いの間に「即興」したものをたどっていったら、こんな時間になり、こんな動画をもらえた。

そして、いま、その曲の続きをつくっているが、すでに驚くような展開をみせていて、聴いてもらうのがとても楽しみ。

「人の星座を生きる」ってこういうことではないかとぼくには思えている。
そこには、なんだかすごく面白く、予想もつかない展開が待っている。

でも、それは予測も分析もできない。
ただ、その星座の中を生きる一人として生きているうちに「コンステレート」してくるものなんだと思う。

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澤 祐典
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