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福祉のイノベーション。
昨日、このベーシックインカムに関する動画を観た。
ベーシックインカムというのは、すべての人に生活に必要な収入を支給する制度で、困窮したときだけ申請する生活保護のように審査の必要がない無条件支給の仕組みだ。
人は不足を認識したとき、
行動が変わる。
欠乏を感じると視野が狭くなり、
愚かな選択をしやすくなる。
それは時間、お金、食べ物など
何が不足していても同じ。
実際にベーシックインカムが試行されたカナダのドーファンという街では貧困がゼロになり、富、賢さ、健康を得たらしい。
また、オランダやフィンランドなどでも実験的に導入されはじめている。
いまこの瞬間にも
貧しさの中で弱り果てている人が
ついに貧困を根絶できたとしたら
どれだけの力と才能を
世に解き放つことができるか。
この動画を観ていて、三月末に児童館で開かれた「こどものまち」のことを思い出した。
「こどものまち」はドイツのミニミュンヘンを元にしたイベントで、名前のとおり、こどもが「まち」をつくる。
「まち」には飲食店やゲーム屋のほかに、市役所やハローワークといった行政機能もあり、独自の通貨も存在する。
児童館を舞台にした二日間限定の「まち」で、こどもたちは働く人と買う人を交互にやって楽しんだのだけれど、このときに印象的だったのが、かなり多くのこどもたちが「働く側」に行きたがったこと。
この日の通貨「卍」は設定がゆるかったこともあり、ちょっと働くとすぐに富豪になれた。
そういう全く欠乏を感じさせない状況だと「買うより働く方がたのしい」と体験の中身を理由に働きたい人が現れるのだ。
そうせざるを得ないとかお金が足りないからという理由ではなく、働きたいから働く。いくら稼いでも稼がなくても優劣はない。
この「まち」には働くことの笑顔と充実感があった。
以前、社会福祉士の勉強で福祉の歴史を学んだとき、時代の常識に対して圧倒的に意識の高い人や考え方が登場することを知った。
「この子らを世の光に」といって近江学園をつくった障害者福祉の父、糸賀一雄もそうだし、ソーシャルワークの先駆者ジェーン・アダムスが貧しい人たちのためにハルハウスをつくったのもそう。
生活保護も1531年のエリザベス救貧法の時代から救済する側の偏見(動画にもある「貧困は人格の問題である」というような見方)が削られていき、日本にも敗戦を機にすべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保証する生活保護法が制定された。
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
(日本国憲法 第二十五条)
それまでの日本は保護を受ける人を劣った存在とみなし、人格的に矯正しようとする制度を採用していたから、これは画期的なことだった。
(敗戦がなければ変わらなかったと思うと複雑だけれど。)
歴史の中で、こうした福祉のイノベーションが時々起きる。なぜかは分からないが、突然、一気に、意識が高くなる。
インターネットだとか、iPhoneだとか、ビジネスのイノベーションもワクワクさせられるけれど、福祉のイノベーションは同じかそれ以上に「人間がよくなる!」という感動があって僕は好きだ。
あまり多数でない、とてつもなく良心的な人たちの名案が、世界中に広がっていく解放の波。
ベーシックインカムもその波の一つになるかもしれない。
そしてこのムーブメントは、きっと「お金」自体をも解放していくだろう。
お金だって、いろんな感情にまみれてけっこう大変だろうしね。
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