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ひっきりなしに注意されている。

今日の『声で逢いましょう』は参加者はおらず、主催の四人だけで開催した。すこし寂しい気もしたけれど、よそ行きの顔をしなくて済んだ分、気のおけない時間になった。

一人、駅のホームから参加していたので、おしゃべりの間ずっとアナウンスが流れていた。

「白線の内側にお下がりください」
「エスカレーターは手すりを持って、足元にご注意ください」

『声で逢いましょう』は、最初の45分間を「円坐」の形式で過ごす。ひたすら話者の言葉をたどる「守人」がいるためか、普通に会話するのとは違い、時間がゆったりと流れていく。

そのせいか、僕らにはアナウンスがやたらと鮮明に聞こえた。普段は意識のほうで存在感を薄れさせているそれは、ひっきりなしに人を注意していた。エスカレーターのアナウンスは、ポーンという音とともに同じことを永遠に繰り返し話していた。人間がやらされていたら拷問だなと思った。

一度、友だちが話していたのと同時に一番線と二番線(三番線と四番線だったかもしれないけど)の両方に電車が近づき、アナウンスがはじまった。向こう側は男性、こっち側は女性と声を分けている分、余計に入り混じって聞こえて、カオス状態になった。

こんなにたくさんの音が、人の注意を惹こうとしているんだと驚いた。

考えてみると、僕らはどこにいっても注意を惹こうとされ続けている。
テレビやパソコンを点ければ、広告を目にしないことはないし、街にも駅にもチラシがいっぱい貼られている。そして、アナウンスではなにかに「ご注意ください」と言われ続けている。

人はたぶん、誰かにひっきりなしに注意されていることが嫌いだ。
なのに、街にはこんなにも注意したがる音があふれている。

いちいち口うるさく注意された子どもは、大抵こう言う。

「できるから、ほっといて!」

僕らの中にもきっと、そういう気持ちがいくらかある。

そして、それでも注意され続けると、子どもは、自分一人ではなにもできなくなってしまう。どこにいっても「注意」が飛んでくる気がして、落ち着かないのだ。

街は人になにをしているのだろう。
どうしてこんな街にしてしまったのだろう。

なんだかそんなことを思っている。
『声で逢いましょう』自体は、ほのぼのして楽しかったはずなのに。

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澤 祐典
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