果報者たちの祝祭
部屋の外から、祭り囃子が聞こえてくる。
今日は秋祭りらしい。
昨日と打って変わって、静かな今日。
一人きりの部屋で、なんだかしんみりしながらその音を聞いた。
昨日は、にぎやかだった。
横浜の迎賓館で開かれた、友達の結婚式に参列していたから。
同じ場所で出会った仲間二人の結婚式。
どこかコミカルで笑いの漏れる新郎の登場の後、大きな扉の向こうから新婦が現れた。
扉が開いた瞬間、
まだその姿を見る前に涙があふれた。
名前のつけようのない大きな波のような感情に、わっと飲み込まれた。
「女子か!」とタカアンドトシみたいに突っ込まれそうだけれど、あれを耐えられる人は人間じゃないと思う。
新婦は、息をのむほど、美しかった。
涙をこらえながら、こらえきれずにベールの奥で涙を落としながら、新婦は一歩ずつ歩みを進めた。彼女をエスコートしながら、すこし伏し目がちに隣を歩くお父さんの姿も、またよかった。
コミカルな花婿とシリアスな花嫁。笑いあり涙ありの、人生そのもののような組み合わせに、ああ、いい夫婦だなあと思った。
僕たち夫婦は、彼らと同じところで出会い、同じようなタイミングで交際をはじめた。
お互い似たような境遇にいて、普通の会社員のような人生を歩んでいるわけではなかったので、この日に至るまで、どれほどの大変さがあったかは、なんとなく分かる。
とはいえ、僕たちは直前まで、式に参列するかを迷っていた。
自分たちの関係が破綻寸前まで来ていたからだ。
一度は断って、それからもう一度「参列したい」と申し出た。
彼らは快く受け容れてくれたばかりか、僕に乾杯の音頭という大役を任せてくれた。
申し訳ないことに、僕は自分がそこまで大事に思われているとは知らずにいた。
式も披露宴もこれ以上ないほどの時間になった。
しばらく会っていなかった友達との再会がうれしかった。
料理もおいしかったし、スタッフさんも素晴らしかった。
16時前に披露宴が終わって、参列した友達みんなで桜木町のカフェに行って、3時間近く話した。
良質の映画を観た後のように、興奮して僕らはしゃべった。
「いい映画五本分くらい」と昨日、僕は言ったけれど、あの体験は映画では得られないものだったと思う。
たくさんの「おめでとう」と「ありがとう」が飛び交った日だった。
新郎新婦に、ご両家に、友人知人に、スタッフさんに。
不思議なことに、関係ないはずの桜木町のカフェの店員さんまで素晴らしくいい人でお互いに「ありがとう」を交わすことになった。
一組の男女のしあわせが、人の数だけふくらんでいく。そんな感じがした。
すきな人がしあわせになるのって、本当にいい。
人と深くかかわることがなければ、得られない感覚だった。
行ってよかった。
のぞみに乗って急いで名古屋に戻り、クタクタの体で床に入って、一夜明けた今日は、昨日のことが嘘だったみたいに静かだ。
誰もいないし、声もしない。
ただ、祭り囃子の音だけがときどき窓の外から入ってくる。
その音に耳を傾けながら、たくさん撮った写真を見返して、しんみりと昨日のことを思い出している。
披露宴の最後に、新郎のお父さんが「息子は果報者(しあわせ者)です」と言った。
でも、あんないい場に呼んでもらえて、あんないい時間を過ごさせてもらった僕たちはみんな「果報者」だったのだと思う。