小さな死。
生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り
(森山直太朗『生きてることが辛いなら』より)
この歌詞をはじめて聴いたときにはギクッとした。
いま調べたら 2008年のリリースだから、ちょうど会社を辞めた年の曲だ。
作詞は御徒町凧さん。当時は「いっそ小さく死ねばいい」という部分が物議を醸していたと思う。
でも、最後まで聴くと「嫌になるまで生きるがいい」となるように、この曲は決して暗い曲ではない。
そして、あれから十年経ったいま聴くと、ここで語られる「小さな死」は、むしろとても大切なものに思ってくる。
恋人や親が悲しむような小さな死。
僕にとってそれは、愛する人の期待を裏切ってでも、自分であろうとすることを指す。そして、期待を裏切り、たった一人になったとしても、そんな自分を愛し抜くことを。
自分が本当のことを選ぶ瞬間を「死」と表現する人は多い。それまでの自分が死に、新たな自分が生まれる、という意味で。
そういう意味では、僕が 2008年に収入の約束された会社員の地位を捨てたのは、まさしく「小さな死」だったと言えるかもしれない。
生きてることがつらいなら、いっそ小さく死ねばいい。
今日は満月。
満月の日は、なにかを手放すのにいいそうだ。
このところ明らかに自分の中のなにかが弱っているのを感じていて、もしかしたらまた「小さな死」が訪れるのかもしれないなと思っている。
そんなタイミングでの冬至、満月、そして「生きてることが辛いなら」。
今度はどんな自分とお別れすることになるのだろう。
やけにしんみりするのは、そのせいなのかな。
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