その交差点に。
昨日、こんな曲を録音して公開した。
カモメを主人公にした、巡るいのちの物語。
二年前につくったもので、気に入っていたので、楽譜をつくって改めて演奏した。
唄っていて涙がでる箇所があるので、当初は「自分の歌かな」と思っていたけれど、何度も弾いているうちに「これは両親の歌だ」と気が付いた。
「カモメ」が母で、「黒い羽のはぐれ鳥」が父、「ちいさな男の子」が僕だと思うと符合する。
でも同時に、それは僕たち夫婦の未来像かもしれないと思わせる。
過去と未来。
その交差点にある曲なんだなあと思うと、特別に思えた。
そんなふうに、最近、交差点のことが気になっている。
といっても、道路にあるそれではなく、人の受け継いできた歴史や仕事という意味での交差点のことだ。
たとえば、15分のお話から曲をつくる『あなたのうた』
は、橋本久仁彦さんに学んだ「未二観」と、本郷綜海さんに学んだ「魂うた®️」に、自分の趣味だった作曲が交差している。
もっと言うと「未二観」に通ずる「人の話をきくこと」は父から、「魂うた」や作曲といった歌への親しみは、母から受け継いできたものでもある。
家族や出会ってきた人たちの影響が幾重にも交差した場所に『あなたのうた』という仕事がある。そのことが「自分の仕事だ」という実感を僕に与えている。
あるいは、僕たちの夫婦生活は、お互いの生い立ちの交差点にある。
しばしば起こる価値観の衝突は、個人的ないざこざというよりは、背負ってきた家の歴史の摩擦であり、新しい文化の萌芽という感じがする。
そう思うと、人のオリジナリティというのは、その人がたどってきた道の交差点に現れるものなのかもしれない。
時に産みの苦しみを経て、火花を散らすようにして、それは現れる。
でも、現れたそれに出会ったとき、人は誰でも「これは自分にしかできない」と思うのではなかろうか。
そのときの「自分」の中に、実は自分はいない。
そうではなくて、辿ってきた道のりの中で出会った人たちが幾重にも重なっていることが「自分らしさ」を与えている。
人と人とが出会う交差点には、いつもそんな芽吹きの可能性があるんだなぁ。
そんなことを思いながら、奥さんが夕飯をつくってくれるのを待っている。