千鳥足理論。
人は「自分が本当にしたいことがわからない」と悩むことがある。
そんなとき、「したいこと」の本命を見分ける方法を見つけた(気がする)。
それは ”自分が千鳥足になっているものを見よ” だ。
千鳥足とはどういうことか。
他の人から見れば「なぜそんなことを?」と思うことを気にしたり、さっさと行動すればいいのにウジウジしたり、バットに頭をつけて10回まわってから歩く人のように、ちっとも真っ直ぐ進まない状態を指す。
人はある特定のテーマに関わると、どういうわけかこの千鳥足を見せる。前に行ったり後ろに行ったり、左に行ったかと思えば、右に大きく逸れる。チータこと水前寺清子さんが「三歩歩いて二歩下がる」と歌ったあれだ。はたから見ると意味不明の動きなのだけれど、本人は必死に真っ直ぐ歩いているつもりでいる。
この、そっちに歩もうとすると千鳥足になってしまうような特定のテーマ。それこそがその人が「本当にしたいこと」である可能性が高い。
なぜそう思ったかというと、僕と僕の身のまわりの人がそうだからだ。
他のことはそうでもないのに、あるテーマになると突然「なんでそんな動きになるの?」というくらい奇妙な千鳥足になってしまう。
僕の場合は、生業にしている「音楽」がそう。
少しやったかと思ったらいやになったり、でも誰かのライブを観て感動して一念発起したり、毎日練習する習慣をつけたと思いきや、しんどくなって止まってしまったり、一進一退どころか一進三退ぐらいに思えることもしばしばだ。
そこにはたくさんの「こじらせ」があって、それが歩みをおかしくしている。あっち?こっち?どっち?と迷うから、奇妙な踊りのようなステップになってしまう。音楽以外のこと、自分がそんなに大事に思っていないことではさっさとやれるし、淡々と進められるのに、音楽だとどうしてもそうなってしまう。わかっちゃいるけどやめられない。
昔から「どうして音楽のことだけダメなんだろう」「どうでもいいことばっかりスムーズに進むんだろう」と思っていたが、自分や周りの人を観察するうちに「大事に思っていること」のそばでは、みな千鳥足を踊っていることが分かった。
そう思うと「こじらせ」というのは、その人が人生の中で検討したいテーマの場所を示しているのかもしれない。それがあるから長い時間かけて考えられるし、悩めるし、成長できる。それだけ「こじらせ」てきたから、そのテーマについては人より微細に見られるようになる。
千鳥足というのはバカにしたもんでもなくて、たくさんのステップを踏むことで、そのテーマ周辺の景色が鮮明になるものとは言えないだろうか。
ま、ただむやみにこじらせてるだけかもしれないけど。
とも思いつつ、僕はこの発見を「千鳥足理論」と呼び、千鳥足になっている人たちに温かなまなざしを向けることにしたのであった。大変だからね、当の本人は。