鏡をつくる。
今日から「南畑美術散歩」の作家さんインタビュー後半がスタート。
三件まわって、帰ってきて、心だか体だか魂だかがビリビリにやられて、全身から湯気が出ているみたいになっているのがわかる。
当たり前だけれども、どの作家さんのところも個性が際立っていて、ひとつとして似たところがない。お話もものすごく面白い。それでいて「やさしさ」とか「精密さ」とか「時代性」とか、人間や人生の本質とも言えるものを深く深く表現されている。
今日で9件の工房・アトリエをまわったけれど、特に印象に残っているのは、抽象をやっている作家さんの「自分たちは鏡をつくっている」という一言だ。
自分たちは鏡をつくっている。
けれど、それは普通の鏡ではない。
見える人には見えるし、見えない人には何も見えない。
そういう鏡をつくっている。
図らずも、まったく同じことを別々の作家さんがおっしゃったので、余計に印象に残っている。いずれもその世界では突き抜けた業績をお持ちの方だった。
この時代に、この場所で、なぜ、それをつくったのか。
作家は作品にそれを込めているという。すさまじい熱量で。
それを解読できるのは、同様の熱量で「みる」者だけ。
そして、そのとき人が「みる」のは、作品ではなく「自分」なのだという。
アートはそういう鏡なのだ。
そう言われてから、アトリエにあった抽象画を眺めたら、そこにある線や色が自分に迫ってくるように思えて、心が震えはじめたので、目を逸らしてしまった。
--アートって、そんなことができるのか。
いままで美術の展覧会にほとんど関心がなかった僕が、40代すぎて、こうしてアートに誘われているのは、なんだか不思議な話だ。
そしていま、「勉強したい」という気持ちがふつふつと湧いている。
怖いような気もするけれど、あの絵の奥を覗き込んで、自分を見てみたいと思ったからだ。
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