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歌うように歌って。

今日の「ほぼ日」のコラム「今日のダーリン」がすごくよかった。
(明日1月6日まで読めます。よかったらぜひ :-)

1歳2ヶ月のお孫さんのまだたどたどしい日本語を聞くイトイさん。
そこでこんなことを思う。

あっ、そうなのか、生まれたばかりの人は異邦人なのだ。
日本という土地にやってきた赤ん坊という異邦人が、
どうやって日本語をしゃべれるようになるかがわかった。

きっと、こうやって「でたらめ」と「まね」を合わせて、
とにかく口に出してしゃべるからなのだ。

抑揚とかリズムとか息つぎだとかといった、
そういう歌のようなところは、歩くようにできるから、
ここに意味が少しずつ表れてくれば、やがて、
自然に日本語がしゃべれるようになることだろう。
周囲の大人たちは、「意味がわからない!」だとか、
「日本語を知らなすぎる」「なにが言いたいんだ」
などと怒ったり馬鹿にしたりは、絶対にしない。
「でたらめ」と「まね」の歌のようなものを、
心地よく、望んで聞いていてくれるのだ。

こういう環境で、歌のように声を出し続けていたら、
言語の習得はできるようになるに決まっている。
そう考えると、ぼくらの中学生から学ぶ英語の教育は、
なんか、ものすごく下手だったんじゃないかと思う。
「正しさとまちがい」を判断され続けながら、
意味の通ることばかりを話さなければならないのだから、
歌うようにことばが出るはずもない。

その国の恋人ができると外国語が上達するというのは、
「意味が通らなくてもなにか言いたい」恋人が、
「意味は通らなくても話してほしい」恋人といるからだ。

僕は『歌い手冥利』という仕事で、歌いたい(けど怖い)人のお手伝いをしているけれど、

ここでしていることも「『正しさとまちがい』を判断され続けながら、意味の通ることばかりを話さなければならない」とガチガチになっていた歌を「歌を唄うように」歌えるようお手伝いすること。そうしていくうちに、歌い手は、自分が歌えることを思い出す。

そして、おそらく㐧二音楽室の仕事は、今日、イトイさんが書いてくれたような原理で成り立っている。

「意味が通らなくてもなにか言いたい」恋人が、「意味は通らなくても話してほしい」恋人といるように、僕は来てくれた人の話を聞きたがっている。そういう「心地よく、望んで聞く」姿勢がすべての仕事のおおもとになっている。

赤ちゃんとちがって大人は、いつも「意味が通ること」ばかり考えてしまう。そのことで「意味は通らなくても存在していること」「意味は通らなくても声に出したいこと」は、なかったことにされてしまう。

でも、それらはある。あって、いつだって聞かれたがっている。

昨日、話がスムーズに流れなくなったところに本質的な自分が現れる、と書いたけれど、すぐには意味の通らない「わかりあえなさ」を共にするとき、先の「意味は通らなくても話してほしい」恋人のような姿勢でいると、その続きが聞ける。その姿勢が実って意味が通るとき、私たちは相手のことを知らなかったという新鮮な驚きと喜びを感じることになる。

歌うことでも、作曲でも、しゃべることでも、とりあえず「でたらめ」と「まね」で演奏してみればいい。そのうち、意味は入ってくる。

「正しさとまちがい」で追い詰めることなく、歌うように歌いながら現れた意味を楽しむ。僕のしている仕事は、実はそれだけなのかもしれない。

でも、たったそれだけのことがずいぶん面白いし魅力的だ。
だから心地よく、望んで聞ける。

おかげさまで『listen.』にもたくさんの人が申し込んでくれて、幸先のいい新年のスタートになっている。

今年も歌うように歌う歌を聞いて、いっぱい面白がれたらいいな。

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澤 祐典
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