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有名人と会っていた午後。
40年以上生きていると、過去に知り合った人が有名になることがある。
テレビに出たり、出世したり、社長になったり、SNSでバズったり。そのたび「あの時のあの人が」という驚きがある。
そうした知らせを受けたときは決まって、有名になったその人といた時の記憶がよみがえる。出会った頃の面影がフワッと浮かんで「そりゃ、有名になるわ」という人もいれば「えっ、あの人が!?」という人もいる。
だれが有名になるのか。その傾向はいまでもよく分からない。なってみて「なるほど」と思うことはあっても、似たような「なるほど」をもつ人で有名でない人はいくらでもいる。
ただ一つ共通しているのは、有名になった人たちがみな独りではないこと。彼や彼女のまわりにはその人を支持し、有名にしたたくさんの「見えない人たち」がいる。そういう人たちがお神輿をかつぐようにして彼や彼女を光らせている。
その現象は、そばで見ていれば理にかなった進み方をしているのだろうが、外から見ていると突発的で、いきなりワームホールに吸い込まれて「向こう」へいってしまったように見える。
友がみな われよりえらく 見ゆる日よ
花を買ひきて 妻としたしむ
と詠んだのは石川啄木だが、そんな気持ちになることもある。訳もなく動揺することも少なくない。自分の興味・関心から遠ければ平気だが、自分のしていることに近いときはきつい。「わかるよ、啄木。」とぢっと手を見てしまう。
それから、そうした個人的な感情のほかに「向こう」に行ってしまったその人たちを NASA のロケット発射場で見送るような感覚がいつもある。
UFO に連れ去られるみたいに、いつか自分も「向こう」にいく日が来るかもしれない。でも、来なくてもちっとも不思議じゃない。大抵の人は UFO に連れ去られたりなんかしないのだから。だれかが有名になったという知らせを受けたときには、心のなかでそう言い聞かせて終わる。
それでも、毛虫が大空を羽ばたくハヤブサにあこがれるようなものかもしれないが、そういう人たちの "活躍感"、己をめいっぱい活かして世界と対峙している姿がうらやましい。いくら自分は毛虫と言い聞かせようと、あんなふうにからだ全部を躍動させて生きてみたいという衝動は消えない。
・・・などということを寝床に寝転がりながら、指フリックで書いている。ハヤブサからはほど遠いこの書き方にすっかりハマっている昨今だ。
ちなみに、街中で有名人を見かけることは少ないほうだと思う。
そして、石川啄木が有名になったのは死後らしい。
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![澤 祐典](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/2357127/profile_7c5f980edda2561d7f4d4bdb41245e28.jpg?width=600&crop=1:1,smart)