洗礼。
夕方、仕事から帰ってきて、赤ちゃんをあやしていた時、おしりを支えている手もとに「ぷりぷりぷり」と感触がした。うんちだ。
うちの赤ちゃんは自力で出せず、綿棒で浣腸することも多いので「よかった」と思いながら、オムツを替えに行った。すると、見慣れないものがジーパンについている。うんちだ。
最近のオムツはよくできていて、横から漏れないようギャザーという羽根が付いている。今日はそれが機能しなかったらしい。
こんなことは今までなかった。夕飯をつくっていた奥さんに「助けて」と声をかけ、まわりに付かないように、そっと赤ちゃんを置く。残念ながら服のすそにもうんちが付き、奥さんに指摘されて振り返ると、横漏れの被害は床にまで及んでいた。
最初にうんちを触ってしまったのは、うまれてすぐの頃。胎便といって、真っ黒なうんちをしていた時期に、ごま粒みたいな丸いものが手について「おお」と思った。四児の母である妹に自慢したところ「そんなもんじゃないよ。どんどん触るよ」と言われた。
その後はオムツ替えのときに何度か触った。替えている最中に「ライブ」で用を足したときには「うわっ、待って!」とパニックになり、オムツを何枚もダメにした上に、服も思いっきり汚してしまい、奥さんから白い目で見られた(以来、この現象をわが家では「うんちパニック」と呼んでいる)。
ところが今日、うんちがジーンズにはっきりと付き、過去最大規模に広がったにもかかわらず、心はおだやかだった。あわてず騒がず奥さんを呼び、粛々と処理をする。ついに僕も妹の「そんなもんじゃないよ」の境地に達したのかもしれない。
それに、これは僕がおかしいのかもしれないけれど、毎回、うんちの”洗礼”を受けるたびに、なんだか赤ちゃんと距離が近くなる気がしている。
「ある集団の一員となるためなどに、避けて通れない試練」。
まさにそんな感じで、うんちに触れることで、僕は赤ちゃんと「家族」になっていくような気がしていた。
そして今日、うんちを「浴びる」ことで、僕たち親子の絆はさらに深まったのだ。
そんな話をしたら、奥さんは呆れたように笑っていた。その前にはちょっと気分が落ち込んでいたようだったけれど、これで一気に持ち直した。
そんなふうになるんなら、うんちを浴びるのも悪くないよね。