
火の玉みたいに。
南畑(福岡県那珂川市)に来てから分かったことはたくさんあるけれど、「一生懸命やること」の大事さもその一つだ。
いま、南畑美術散歩のインタビューでお会いしている作家さんたちは、みな一生懸命だ。自分の作品に、お客さんに、大事にしている思いに。
懸命さを帯びた人はまるで火の玉みたいで、お話をうかがっていると熱い(比喩ではなくて本当に)。時には熱量が大きすぎて圧倒されるけれど、話し終わった後には僕も元気になる。
そして、一生懸命やるしかないんだな、とも思う。
だって、自分たちのつくってる作品が売れるかどうかなんて、誰にもわからない。しかも、作家さんたちがつくっている作品は「売れそう」なものではなく「世にない」ものなのだ。
僕たちは人生で、とても実現できそうもないことをやってのけたりする。
そういうとき「どうやったの?」と話を聞くと、大抵、目の前のことを一生懸命やっているだけだったりする。
理屈でどうこうではなく、ただ懸命に。その懸命さの火の玉が渦を巻いて、まわりをも巻き込んで、一つの社会現象を生み出すような。
このところ、ある作家さんと「役目を果たす」ことについてよく話すのだけれど、その環境において、自分がすべきことを思いっきりする。僕たちがすべきことはそれだけなのかもしれない。
しかも、その役目ってなんとなく人ではないなにかが決めているような感じがする。だからこそ「そんなことしてもいいの?」とか「自分にできるのだろうか」ということにえいっと踏み込めるのかもしれない。
その理屈をこえた一歩が、人生を変えていくんだよな、きっと。
いいなと思ったら応援しよう!
