「学び」は突然、発動する。
昨日のことだ。
夜の児童館では、毎週恒例の「学びタイム」が行われていた。
中学生、高校生を対象になんらか「学び」に関することをする時間だ。
この日は、高校三年生がプレゼンテーションをすることになっていた。
テーマは「プログラミング」。
彼は、自分の通う工業の専門学校で使っている、レーザーで物を切る機械を動かすためのプログラムを教えようとした。
正直、マニアックすぎる。他の中高生には理解できずに終わってしまうかなと思ったが、そのままやってもらうことにした。
冒頭、彼はプリントを配る。
そこには「S001」とか「M03」「X30」といった暗号のようなものが並んでいた。専門学校で出題された宿題をただコピーしただけの紙だった。
彼は説明を試みるが、専門知識すぎて、その場にいる誰も、大人の僕たちもさっぱり分からなかった。「わけわかめ!」「勉強嫌い」「頭いたい……」という声が中高生から挙がりはじめる。ヤジも大きくなる。
ところが、である。
彼の説明を誰一人ちゃんと理解できないにもかかわらず、場としては進んでいた。
ジグソーパズルのピースが一つ一つ見つかっていくように、あっちで「ここがわかった」、こっちで「あそこがわかった」という声が挙がりはじめる。そして、文句を言いながらも、みな一生懸命、高校生の説明するプログラム言語をメモっては、目の前のパソコンに向かって入力をはじめた。
ほとんどお経に近いプログラム言語の入力を終え、「再生」ボタンを押すと、画面上にシミュレートされた裁断機が動く。
失敗。
プログラムは、物を正確に切ることができず、謎の一本線を残して止まってしまった。
それで俄然、火がついた。
我こそはと、みなが躍起になってプログラムの修正に走る。
側で見ていた僕は「すごいもんだ」と思った。
いま「学び」が発動していると。
その場にいる全員が裁断機のプログラムに興味はない。
でも、全員の脳が心地よく活性化しているのはわかる。
彼らは没頭していた。
そして、首尾よく指定されたとおりに物が切れると「できた!」とうれしそうな声を上げた。
似たようなことを、僕は SOLE というワークショップで経験したことがある。
日本版のホームページには、SOLE での流れが説明されている。
1. 講師は、生徒たちに "Big Question" を出します。"Big Question"とは、短い時間で簡単に解答が得られない研究課題です。
例えば、
「動物の知能は、いかにして測るか」
「ケレスの白点は何なのか」
「植物はどのようにして、また何のためにビタミンDを生成するのか」
これらは、おそらく非常に難しい質問です。しかしSOLEでは、難題に挑戦することで、学習意欲を掻き立てる効果があるのです。
2. 生徒は、3人~5人のグループを構成し、インターネットを使って難題の解決に取り掛かります。言語の指定はなく、グループを変わってもよく、また、他の生徒やグループからの情報を真似てもよいのです。ルールはありません。約1時間かけてこれを行います。
おそらく、一時間では答えはみつからないでしょう。しかし、それで良いのです。SOLEの真の目的は、解を得ることではなく、解を導き出すために探求することだからです。
3. 各グループは、自分たちが調べてわかったことを、ノート、資料、プレゼンテーションソフトを使って、英語でプレゼンテーションを行います。
(SOLE Japanホームページより抜粋)
おそらく、プログラミングという未知の分野と高校生のそれほど上手でない説明が、参加者にとって「Big Question」になり、みんなでワイワイガヤガヤ言い合ったことが「ネットで調べる」に相当したのだろう。
そして「学び」が発動した。
最後に聞いた、女子高校生の感想が印象深い。
「最初は『なにこれ、つまらん』と思っていたけれど、やってみたら楽しかった。」
自分に関心も、おそらく将来触れることもない工業系のプログラミングを楽しかったと彼女は言った。こんなことプロの教師でもできまい。
そして、僕はこう思う。
楽しかったのは、内容ではなく「自分の脳がはたらいたこと」だったのではないかと。
皮肉なことに、いま「勉強」と呼ばれているものは嫌われすぎて脳をはたらかせない。その網をかいくぐって、「学び」を発動させ、脳が活性化する喜びに触れるには、どうしたらいいのだろう。
「これって再現できるのかなあ」と思いながら、帰路についた。
いまのところ、答えはわからない。
はじまる前は、うまくいかなかった場合のフォローばかり考えていたから、まさかこんなことになるとは思わなかった。つくづく、勝負はフタを開けてみないと分からない。