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大きな船から乗り換える。
「護送船団方式」という言葉がある。
もともとは一番速度の遅い船に合わせて全体の統制をとる軍事戦術で、転じて体力の弱い企業を守るために全体に規制をかけることを指した。
船と船とをつなぎ、体力のある船に牽引してもらう。体力のない小舟にとっては、あまり揺れないから安定して感じられるし、転覆のリスクが小さいまま、目的地へたどり着ける。その代わり、あまり自由はきかない。
大きな企業に勤めることや常識に合わせることは、この感じに近いと思う。僕は企業から自営業に移った人だけれど、実際、企業に勤めていた頃はこんなに日々揺れなかったもんなぁ。
四半期、半期、来年度、先のことももっと見えていた気がする。目的地は、いつだって経営層なり上司なりが決めて語っていたから。
面談してどんなことがしたいか、どこの部署に行きたいかといった希望は聞いてもらったけれど、常にある枠の範囲内で動くことが前提だったなあと振り返って思う。でも、みんなそんなふうに生きて働いていたから特に疑問にも思わなかった。意思疎通もらくだったし、よかったこともいっぱいあった。
いまは手漕ぎボートのような小舟なので、機嫌とか気分とか、ささいなことですぐ揺れる。目的地は自分で決められるとも言えるし、決めないとどこにも行けないとも言える。これはわりにめんどうだ。
確定申告も税金や保険料の支払いも自分でやんなくちゃなんないし、会社を辞めてみると「こんなにやってもらってたんだ」という多くのチームプレイに気づかされる。
で、僕の場合は、結果的に他の人と違うへんてこりんなルートを進むことになり、だんだん気が合う人としか話が合わなくなった。「さらば地球よ旅立つ船は宇宙戦艦ヤマト」気分。イスカンダルはどこにあるカンダル?という感じだ。
でも、最近思うのだけれど、護送船団のように見える会社や人たちだって、それぞれの舟は揺れている。
その揺れは個人的なものかもしれないし、組織的なものかもしれない。統制して安定させているように見えていても、揺れはあって時々表立って現れる。
そのとき人は、海の、波の上を航海していることを思い出す。
僕自身は波とともに揺れ、押し流されたり転覆したりする過程が大事だと考えている。ずぶ濡れになって、びしゃびしゃになって、ようやくたどり着く境地があったし、これからもあると思っている。
そこに入るのは、結構不快だ。できれば避けたくもある。
でも小舟の場合、入るとなったら入るしかない。
そしてたぶん、大きな船に乗る人や組織もそれを避けることはできないんじゃないかな。そこには見つけられたいなにかが潜んでいて、その力は船よりもずっと大きいから。その力を抑えすぎてしまうと、ひずみが起きて、結構痛手を負うことにもなるし。
そんなことを会社員時代の思い出といまとを往復しながら考えている。
よく考えてみたら、僕らって日本列島というよく揺れる小舟の民なんだよね。だからきっと、揺れには強いはずなのだ。
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