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出産前に男性が心がけること。

「子どもが生まれる前に心がけることとかって、ありますか」

たしか、そう聞かれた気がする。子どもプラザで赤ちゃんと遊んでいる最中、若い男性スタッフさんが近づいてきて、突然尋ねられたのだ。結婚を考えているパートナーがいる、みたいな話だったと思う。

「聞かれた気がする」「だったと思う」などと輪郭がぼやけてしまうのは、気が動転していたからだ。こんなふうに身の上相談がくることなんて十年に一度もない。しかも子育ての話を聞かれるなんて。僕はなぜかとても照れてしまい、平静を装っていたが、内心うれし恥ずかし大騒ぎだった。

取り乱しながら、なにか言えることはないかと考える。
まず、出産前の自分たちを思い出してみる。ところが、赤ちゃんとの暮らしが濃密すぎて、感熱紙の写真のように記憶が薄れはじめている。せっかく聞いてくれたのだから、なにか意味のあることを伝えたい。けれど、気持ちとは裏腹に考えれば考えるほど、さして言えることがないことに気づかされる。

そもそも、出産後の暮らしについて、事前に想像して備えること自体、無理があると思っている。出産前と違いすぎるからだ。僕にとってそれは第二の人生がはじまったぐらいの体験で、予習は不可能だった。ネットで漁ったいろんな情報もほとんど役に立たず、結局、その場その場で起きることにオロオロしながら対処するしかなかった。脅かす情報の方が多かったけれど、実際にやってみたらなんとかなったことばかりだった。でも、なにが起きるかは家によって違う。一概にこうとは言えない。

さらに言えば、スタッフさんは結婚前なのだから、出産を経験するかどうかも分からない。経験しなきゃいけないわけでもない。そんなことをぐるぐる考えていると、言えることがなくなっていく。でも、なにか言いたい。

藁をもつかむようにして伝えたのは「話し合える関係性をつくること」「育休をとることに理解がある職場か確認すること」の二つだった。

言ってすぐ物足りなさを感じた。「これだけかよ」と心の中ではげしいツッコミ。なにかもっといいことを、と思うが、まるで言葉にならない。あれこれ支離滅裂な話をした挙句「なんかお役に立てそうもなくてすいません」と詫びた。

家に帰ってきて、妻にこの話をすると大いに面白がってくれた。
ひとしきり顛末を聞いてもらって「でも、いいもんだぜーって言いたかったなあ」と思う。

いろんなことがある。大変なこともいっぱいある。その多くは避けて通れない。予習もできない。

ケンカする日もある。眠れない日もある。家の中がぐちゃぐちゃになる日もある。もう無理と思う日もある。

でも、いいもんだぜー。

僕はたしかにそう思っている。
それさえ伝えられたらよかったのになあ、と思っていると、妻が

「まずは『聞く』だろ」

と言った。スタッフさんがなにに困り、どんなことを相談したいのか聞くことが第一だろうというのだ。

おっしゃる通り。聞くことについてずいぶん学んだはずなのに、基本のキもできていなかった。舞い上がっていたのだ。

僕はまた恥ずかしい気持ちになり、おしりの穴がキュッとするのをごまかすように笑った。

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澤 祐典
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