やると言ってやっている人。やりたいと言ってやる人。
つくづく、もうつくづく、つくづくほうしであるくらい、なにか行動を起こすとき「どんなふうにやるか」というのは大切なものだ。
すごく簡単に言ってしまうと「やらされる」のは一番力が出ない。
なぜなら人が力を発揮するのは「やると言ってやっているとき」「やりたいと言ってやっているとき」だからだ。
ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営している株式会社ほぼ日では、なにか頼まれたことを引き受けるかどうか決めるときに「その同じことが、こちらからぜひやりたいと頼めることか」を、一日置いて考えるようにしているそうだ。これも「やらされる」を「やる」「やりたい」に変換しているのだと思う。
どんなことであれ、人は「やらされる」のがきらいだ。僕たちはそのことを子どもの頃から知っている。たくさんお金をもらって買い物をすることでも「いまからこれだけ買ってこい」と言われてやると、ちっとも面白くないにちがいない。
にもかかわらず、仕事の現場では「やらせる」こと「やらされる」ことが横行している。立場が上の人が、声が大きい人が、動かしやすい人を号令一つで動かしてしまう。それで効率よく片付くこともあるのかもしれないけれど、人間の扱いとしてザツじゃないかと僕は思う。正直、苦手だ。
それに僕が南畑(福岡県那珂川市)に来てすごいなと思う人は、みな、やると言ってやっている人だ。やりたいと思ったことを、やると言ってやっている。だからこそ常人には考えられないようなパワーが出るし、信じられないような成果物が生まれる。
思えば、僕自身は20代の頃から「仕事」という領域に「やりたいこと」を増やし「やらされること」を減らそうと苦心してきたけれど、それは選り好みをすることではなく、来たものの意義を見出すことなのかもしれないとこの頃思えてきている。
ああ、これは僕が「やる」ことだ。
最初は特にやりたいと思えていなくてもそう思えたとき、自分の中からぐぐぐぐっと力が出てくる。
「お役目やね」という言葉を、南畑に来てからよく聞く。
それは一般的にいう「やりたいことを仕事にする」というのとは違う、なにか大きなものから付託された「やらされること」なのだけれど、でも、それを担うことがその人をいきいきとさせるような仕事のこと。
その「お役目」において「やらされること」と「やりたいこと」と「やること」は渾然一体となり、人の光を強くするのだと思う。
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