いつか王子様に。
Some day my prince will come
Some day we'll meet again
And away to his castle we'll go
To be happy forever I know
ディズニー映画『白雪姫』の主題歌「いつか王子様が」。
白雪姫は甲高い声でこの歌を唄いながら、王子様が来るのを待ち、やがて、王子は白馬に乗って彼女の元をおとずれ、二人は幸せになる。
Happily ever after.
めでたしめでたし、というわけだ。
でもそれは映画の中だけのお話。
現実には白馬の王子は現れず、白雪姫は眠ったままだ。
それで、いいのだろうか。
「中二病」という言葉をはじめて聞いたのは、いつ頃だろう。
ネット掲示板「2ちゃんねる」が流行りはじめた頃か、もっと後か。
児童館に来る中学生たちが、時々この言葉を使っている。
「オレ、中二病だわ」
「おまえ、それ中二病w」
思春期にありがちな誇大妄想を揶揄する意味合いが、そこには含まれている。
しかし、「中二病」と診断される発言の中には、人にとって大切な「夢」も含まれている。
本当にそんなふうに揶揄して、笑い飛ばしていいものなんだろうか。
当時、その言葉があったなら、僕は完全に中二病の罹患者だった。
小さい頃は、戦隊もののヒーローに憧れた。
話しても分からない人の方が多いだろうけれど、ゴーグルファイブとかバイオマンとか宇宙刑事ギャバンとか。
その年齢の子供たちがみなそうするように、僕も親にヒーローグッズをねだっては「ギャバン!蒸着!」(ギャバンでは「変身」のことを蒸着と言うのだ)と叫んで、悦に入っていた。
思春期を迎えると、その対象は B'z などのミュージシャンに向かうことになる。特に稲葉さんのカッコよさには憧れた。
ディズニーランドに出会ったのも、その頃だ。
いまでも覚えているのが、ファンティリュージョン!という光のパレード。
このパレードは、いまのエレクトリカルパレードと違い、途中に悪役のパートがある。そこでは、いままで長調だった曲がフレーズはそのままに短調に変わり、フロート(山車)が変形してマレフィセントの竜や毒リンゴを持った白雪姫の女王などが巨大なバルーンで再現されていた。
「夢じゃないかしら」
と14才の僕は思った。こんなにカッコいいものがこの世にあるとは、と。
幸いに、僕のまわりにこうした憧れを揶揄する人はいなかった(誰にも言わなかったしね)。そして、そのままディズニーランドの入社試験でこのファンティリュージョン!の感動を語り、採用されることになる。
「大の大人になっても、夢だ魔法だなんて言ってられる会社は、ここぐらいしかない」
これが志望動機だった。こんな人を採るのだから、懐の広い会社だったと思う。
とはいえ、夢見がちだったことは、いいことばかりではなかった。
僕は時々、現実ばなれした話に入り込みすぎて、ドンキホーテよろしく困りごとを招いていた。
そして、僕と他人との間には、いつも微妙な距離があいていた。
僕が「夢」と呼んでいたものは、いつの間にか、現実の自分から目を逸らす隠れ蓑になって、僕自身の中に大きなすき間をつくっていた。
自身の中にすき間をもったまま、他者とつながることはできない。
会社をやめ、ニート状態になり、やがて壊れていく過程は、結局のところ、その「夢」がはじけて現実に戻るプロセスだったのだと思う。その頃も基本的に僕は夢の中にいるように笑っていた。
だから、夢は見ないほうがいい?
中二病といって、早いうちから治療した方がいい?
僕はそうは思わない。
夢がはじけて、僕が取り戻したのは、他者だった。
「そこに人がいる」という実感を回復させてくれたのは、歌のワークショップ『魂うた®︎』であり、橋本久仁彦さんの円坐であり、結婚生活だった。
それらは文字通り ”夢のような” 出来事で、そこでの経験は、だんだんと日常の中で小さな夢をかなえはじめている。
昨日、児童館の子どもとの溝を跳んだことも、ささいではあるけれど、僕の中に夢見がちな楽観がなかったらできなかったことだと思う。
こうして、僕は自己満足ではなく、他者と分かち合う夢を見るようになった。
Some day my prince will come
Some day we'll meet again
And away to his castle we'll go
To be happy forever I know
最近、僕は「男になること」について書いて、大きな反響を呼んだ。
男が男になることは、自分を救うと同時に、いまでも心の中で「いつか王子様が」と歌っている「夢見る夢子ちゃん」を救うことになると思う。
僕の知る限り、彼女たちの心の中には、いまでもプリンセスが眠っている。
しかし、それはあまりにも傷つけられてボロボロになっている。
イギリスの覆面芸術家、バンクシーが造った「Dismaland」のアリエルやシンデレラのように。
もしも夢がかなわないと揶揄されるのなら、この現実はなんだ。
バンクシーの言うとおり、悪夢はきちんとかなっているじゃないか。
「夢は必ずかないます。信じることが大切なのよ」
今夜もディズニーランドでは、『シンデレラ』のフェアリーゴッドマザーがゲストにそう語りかけている。
そんなに能天気に言っちゃって、とも思うが、基本的に賛成。
そして、だいぶ恥ずかしい感じもするが、僕たちが王子になって会いに行かない限り、プリンセスは眠ったままなのだと思う。
児童館では今日も、中学生たちが「おまえ、中二病だな」と囃し立てている。
それを見て、彼らに言いたいのは、
中二病でなにがわるいか。
ということと、
おまえ、中二やないか。
ということだ。