突然、夢をみる。
先日、ネットで見かけた記事に「隠遁」という言葉を見つけて、イメージがわっと湧き上がった。
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僕は古い木の家にいる。そこはエコビレッジと呼ばれる自然と人がゆるやかに共生している場所で、めんどくさがりの僕は土をひっくり返したらほったらかしの自然農もどきをやっている。そこで草をちぎるようにして収穫したものを、その日のみそ汁なりサラダにして食べている。
家の中には、マンガの部屋とゲームの部屋がある。読みたいときに読み耽ることができて、そこからインスピレーションを得ることも多い。内容というよりもそこに込められたエネルギーが「こんなことについて書きたい」という発想を呼び起こしてくれる。
そうして僕は机に向かい、なにごとか書いている。見知った面白いものを組み合わせて文章を書くのが、僕は得意だ。面白いことはそこらじゅうにある。人生がどんなに豊かで、尊敬に値するものか。結局のところ、そのことしか書いていない。
音楽をつくるミニスタジオもある。文章で足りないようなことは、このスタジオで歌にしている。歌は言葉をこえて、意味をこえて、人と交流することのできるツールだ。そのことによって、出会った人たちと深く豊かに交流できることを僕は愉しんでいる。
仕事は、縁のある人とのおしゃべりから生まれる。ときどき「ゲームしない?マンガ読まない?」と言って、僕は人を誘う。常に人といたい方ではないが、相性の合う人と会って話がはずむと、新しくやってみたいことが次々に出てくる。
この家には、もちろん家族が住んでいる。妻と二人の子ども、そしてペットの犬とねこ。いろいろとトラブルもありながらも、一回きりの人生でそのトラブルを共に過ごせることは(大変だけど)ありがたいことだよな、と思う。
そのときそのときで関心が変わっていくし、関心に応じて自分も変わっていくから、少し前に「こうだ」と言っていたことが今日は違ったりする。そのことでいささか混乱を招くこともあるけれど、しかたがない、と思っている。だって、実際に変わってしまうのだから。
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そんな、いつの事だか分からない未来のことを想像していると、なんだかうれしくなる。未来のことなのに、なつかしいような、そんな感覚に陥る。
このイメージの中には、小学生の頃、友達を家に呼んでファミコンをした思い出が色濃く現れている。ファミスタやったり、イーアルカンフーやったり、本当に楽しかった。
マンガ部屋も当時の再現だ。うちには『ドラゴンボール』『キャプテン翼』『スラムダンク』といったジャンプコミックスがきれいに整頓されて並んでいた。あのイメージ。
ドキュメンタリーで、ウォルト・ディズニーがミニチュア機関車をつくって嬉々としている場面があったけれど、あんなふうに成人男性でも時折「男の子」に戻れるといいのかもしれない。
そう思っていたら、『ワンピース』の作者、尾田栄一郎さんのおうちは、まさにテーマパークで、やっぱり楽しいものがいっぱい置いてあると聞いた。
そう言えば、仕事で駐在したアメリカのディズニー(WDI)のオフィスもドラムセットがあったり、ぬいぐるみが置いてあったりと華やかだった。「好きなもの」が身の回りにあると、人はいきいきとするらしい。
いつ、どうやって、そうなるの?
と聞かれると困ってしまうのだけれど、でも、そんなイメージを思うとワクワクする。今のところ、なんのためかは分からない。とはいえ、あまりに鮮明だ。
で、こういう妄想って大事じゃないかなって、ちょっと思っている。
そして、いつか将来のブログで「これ、叶いました」って言えたらいいなとも思っている。
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