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正直言って、よく分からない。

若い頃の僕は、歳を重ねるごとにだんだん物がわかっていくのかと思っていたが、どうやらそういうことでもないらしい。

人と出会えば出会うほど、考え方や感じ方、置かれている環境が違うことに気づく。出会えば出会うほど、他の人と同じ基準を共有して、なにかを分かり合うなんてできないかもしれない、と思ったりもする(実際には普通におしゃべりしてるんですが)。

東京の都知事選は、現職の小池さんが勝った。そうだろうなとは思っていたが、思ったより圧勝だった。投票率は 55% と思ったほど伸びなかったらしい。

選挙前、僕の SNS のタイムラインには小池さん以外の候補を推す投稿が並んでいた。「選挙に行こう」的なことを書いている人も多かった。

そういう人たちはきっと投票に行き、小池さん以外に入れたのだろう。でも彼らの行動は結果には反映されなかった。票を投じた人の6割近くは小池さんを選び、僕が SNS でみたのは、それ以外の2割ほどの声だったことになる。そして、選挙権を持つ人のおよそ半数は投票していない。

僕の知らないところにも人がいる。そして、そちらの方が多数なのだ。
選挙のたびに思うことは、そのような「じぶんはマイノリティなのだ」という実感だ。

人は人とは違う。たった一人の身近な家族との違いを調整する事すら大変なのに、その外となったらどうしたらいいのだろう。

若い頃からずっと「分かったようなことを言う人」が不思議でならなかった。「どうしてそれが分かるのだろう?」と思っていた。自分にはとてもそんなこと断言できそうにないと感じた。

歳をとったら同じように分かったようなことが言えるようになるのかと思いきや、相変わらず分からないままだ。もしかしたら世の中には「分かる人」と「分からない人」という線引きがあって、それは一生変わらないのではないかとすら思わされる。

分かったようなことを言う人の人生は、自分の思い通りに進んでいる。だからこそ勢いづいている。一方、いつまで経っても分からないどころか、分からなさが増している僕の人生は思い通りになどならない。思いもかけないことに振り回されている。いつも迷ってばかりだ。

しかし、その思いがけない出来事の連続の中に、意外な幸福感があることを僕は知っている。それは「分かったようなことを言う人」の世界観の中には存在しないように思えて、ますます「人と人は違うのだなあ」と思わされる。

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