そこに人がいるということ (6)
(前回の記事はこちらから)
「オレ、他人とつながれるようになったかもしれない」
思わず、フェイスブックにそう書いた。
なにげない言葉だけれど、僕にとっては、41年(自分の年齢)ぶんの重みがあった。
「澤さんは人に関わっていない」と指摘するとき、橋本久仁彦さんは必ずと言っていいほど「君には現場での経験がいる」と言い添えていた。
「現場」をいくつもスルーしてきた僕にとって、結婚生活は、最後の砦だったのだと思う。
「大事に想う人を、望み通りに大事にできない」という情けない事実が、そこでのみっともないやりとりが、いままでの僕をへし折ってくれた。
ヘタレではあったけれど、大事な人がいることで、力が湧くことも知った。
いま、僕は自営業と掛け持ちで、児童館に勤めている。
ここで子どもたちと百人組手のように関わったり、同僚と真剣に議論したりしたことも「他人にかかわる人」への変化を促してくれたのだと思う(そして、それはいまも続いている)。
大学時代からの友達も、まだ残ってくれている。
受験が終わってから、少しずつ少しずつ、自分の中に増やした他人の居場所には、それなりにたくさんの人がいる。
そして、奥さんもまだ、いてくれている。
へんな話だけれど、最悪の状態に落ち込んだときに、他人がいてくれることのありがたみを実感させてくれたのも、彼女だった。
二人でコーヒーとスパークリングウォーターを飲んで「サイテーだね」と笑ったとき、何の解決もしていないのにすがすがしかった。
僕が奥さんに「結婚しよう」と言ったのは、三年前のこと。
僕たちはまた、スタートラインに立っている。
今度は間違えないように。
いや、間違えてもそれを分かち合えるように。
そこに人がいること。
それは障害物でも、不自由なことでもなくて、幸いだった。
バカだねえ、ずいぶん長いこと、気がつかなかったよ。
(おわり)
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