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ともに海をわたる。

昨日、この記事で

「誰かと生きていくことは、ともに舟に乗ることで、ともに舟に乗ることは、ともに揺れることだ。」

と書いたけれど、もしかしたら

「誰かと生きていくことは、おなじ海に出ることで、おなじ海に出ることは、おなじ海の波に揺られることだ。」

と言い換えた方がいいかもしれない。

なぜなら、人は人の舟になんか乗れないからだ。
いつだって、自分の舟を自分なりに漕いでいくことしかできない。

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
(中島みゆき『宙船』より)

と、みゆきさんが唄ったように、誰にも自分のオールをまかせることはできない。

それでもそばをゆく船が「おうい」と呼びかけ、どのあたりになにがあるか教えてくれれば、旅はらくになる。いっしょに風を読んで「こっちかな」と考えることもできる。先をゆく舟の航路をたどって、目的地に近くこともできる。

そうそう、そんなことを考えていたら、もう一つ思いついたのが、僕たちの「舟」にはエンジンはなく、人はヨットのように帆を風向きに合わせることしかできないのではないか、ということだ。

人の腕の力よりも海の潮の流れや風の勢いはずっと強い。それに流されながら、行きたい場所までいく航海は「思い通り」に見えても実は海や空の力を借りている。

もちろん僕にも行きたい場所があり、目標がある。
でも、それは自力だけでたどりつけるものではない。

なんだかそんな気がするのだけれど、それは無力ということではないんだよなあ。むしろそのことが安心感につながるような感じがする。



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澤 祐典
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