母の絶対
こんばんはゴトー日。20日の更新です。
「親に何か強制された事ある?」と尋ねられて、そういえば何かあったかなと自分の人生を振り返ってみたりした今日この頃。
考えてみたのだけどあれをしろこれをしろと強く言われたり命令された事ってほとんどなくて、母子家庭で育ったものだから母は私と兄を育てる事で精一杯であれこれと習い事をさせたりする余裕もなかったんじゃないかなと思い返す。
だからと言って何もそういう記憶がないかと言ったらそういうわけではなくて、一応いくつかの習い事をやらせてはもらったけれども、どれも楽しく通ったという記憶はほとんどなくて行きたくないなと思っては徐々に足が遠のき、そうなってきた時に母が車で送り迎えをしてくれていた。そんな時は行きなさいと強制されてはいたものの、こうであれと言われたりした事って本当になかったんじゃないかな。
あったとしてもあまり記憶に残ってない。
うちは母子家庭だったくらいで特にこうしなくてはならないというようなレールが敷かれている家ではなかったので、将来何をやりたいかとか親なりの理想はあれど強制されている事はまるでなかった。
だから過去に知り合った人で実家が◯◯を営んでいるから、自分はそれを継ぐ形の未来しか選べないと言っていた時そういうものなんだなあ、とこれぞ正しい言葉の使い方だと言えるくらい他人事に聞いていた。
思春期くらいになれば結婚して子供を育てるんだと意気込んでいたけれど、実際結婚生活に憧れがあったわけでもないし子供を産んで育てたいという欲もそこまでない。
なので、そういう気持ちも歳を重ねるほど現実を見れば見るほど少ない気持ちが益々減っていって、私がやりたいことをやっていきたいというだけの感情しか残らなくなってしまった。
そんな中でも母親が小さい子供を好きなのは何となく感じていて、きっと孫をみたいんだろうなと娘ながらに感じていたのでそういう感じの選択肢があったら、選ばなくてはいけないんだろうなと思ったみたりもした。
そういうような話を母親に聞いてみたら、別にいいのよあなたの人生だからと言われたものの、それでもやっぱり会えるものなら会ってみたいと奥底で思っていそうな母親を邪険にする事も出来なくて、自分が自分のやりたいと思うことを選ぶのが少し後ろめたい時期もあった。
今もそれはないとは言えないけれども、あえて考えないようにしているのもまた事実でそこは難しい問題だなと感じている。
それ以外の記憶がほとんどないので私の中にまるで残ってないんだと思うけど、でもそんな母でも唯一私に強制していたという事が一つだけあったと、冒頭の質問を投げかけた人に伝える事ができた。
「学校いきなさい」
笑われてしまった。
当時の私には大変な事だったのになあ。