生きてるだけで皆勤賞

自己肯定感って一体いつ頃構築されたのかと思いを馳せても答えが出るわけでもなく。
上を見上げればキリがないけれども、下を見れるほど高いところにいるわけでもないので、ただこうなりたいという自分なりの憧れる人を目指していたら誰かと自分をあまり比べるようにならなくなったような…そんな経緯だったりしなくもない。
仕事に関してはああなりたいこうなりたいと目指すものはあっても、この人と比べて自分がダメなんだと落ち込む事がないとは言わないけれども、視点の切り替え的にこの人はここがすごいのだから自分の中に少しでも吸収できるようにしたいと思えるようになって…となっていったような気がする。
現在の私は妬むとかそういう気持ちにはあまりならないみたい。

結構付き合いの長い子がいるのだけど、私からしてみればご両親の愛情を一身に受けて育った育ちのいい家庭の子という印象なのですが。
本人は一般的に自分自身がそう見えているのは分かった上で、色々と自分が自覚した頃から抱えているものがあってそれが原因で親不孝なのではないかと自分を否定しているタイプなので、世間からの目と自己評価が合わないんですよね。
世間の目なんて別に何とでもなると思うんですけど何でもかんでも自分を否定しがちってあまりいい事ではないようなーと。
自分を褒めてくれた人がいたとしたなら、それを否定するようなことを言うと褒めてくれた人を否定する事になるから〜みたいなそういうものと近いものかと思うんですが。

曰く、自己肯定感が低いとの事で。
なのでその子に「1日3個でいいから自分のことを褒めてあげて」と言って、夜寝る前にその子から毎晩LINEが届くようになる日々が始まりました。
私は別に冒頭でも言ったように特に自己肯定感が低いわけでもないので、わざわざ付き合わなくても良かったのですが相手が私にも課してきたので、それじゃあと二人で寝る前に1日を振り返って自分を褒めること3つを送り合っていました。1ヶ月ちょっと続いていて今も継続中ではあるのですが、ある時からルーチンが崩れてきたみたいでここ最近はあまり送られては来なくなったものの、1ヶ月くらい経ち始める頃には褒めるのが苦手だった相手がだいぶ自分を褒めるのに慣れてきたみたいで。それに伴い自分の不足だと思っていた部分に対して見方を変えれるようになってきたので、そこまで自分を否定しなくなってきたとか周囲に対して感謝の気持ちが湧いてきたとかで、完璧に良くなったとかではないんでしょうけど少なくても自分で自分を虐めすぎる事は少し減ったのかなーなんて思ってます。

ただ本当に何も出来なかった日ってやっぱりあって、それは相手の子だけではなく私だって勿論あるんですが、そういう時相手の子は何もしなかった自分という事実がとても自己嫌悪に陥ってしまう理由としては都合よくあるので、一生懸命自分を褒めようと探すのだけどマイナスモードになってしまっている時はなかなか前向きに自分を捉えられるのって難しいですよね。
だから、その子にご飯は食べた?仕事は出社したの?お風呂は入ったの?というような、生きてて最低限の事をしたかどうか尋ねて引き出すようにしたり。
それでも3個褒めるところが生まれてこなかったら、奥の手であり本当に初心である事に目を向けてほしいので「自分が生きてる事が何より一番偉い」のだから、それを褒めてあげようねと本当に褒めるところがなかったら使ってもらってます。

ちょうど私も見かけたものではあったんですけど、毎日が続いているって事は生きてるって事で人生皆勤賞を今の今までずっと続けてこれているんですよ。
だから、みんなみんなすごい事を当たり前のようにこなしているけれど、とってもすごいことを毎日当たり前にしているんだって褒めれたら色々ともっと潤うような気がするんですよね。理想論かな。

ちなみに今日の私は…
・noteを書いた
・小さな家族のお世話をした
・ご飯を食べた
の3本です、ご査収ください。

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